そのころ、私達の家族にとって神戸はおめかしして出かける特別な場所でした。最近、めっきり聞かなくなった言葉「よそゆき」、神戸はまさしく、よそ行きが似合う町だと誰もが思っていたのだと思います。
ある日、父の友人宅に招かれた私達家族は朝早くから身支度に余念がありません。私は、グレーのワンピースにレースのひらひらが飾りについたソックスをはいて、足の甲でストラップをとめるエナメル靴です。
その日は、父と母の結婚記念日に、中国人の夫妻が中華服をプレゼントしてくれるというのです。父の友人は、当時中華同文学校で教鞭をとっており奥様は中華服のお仕立てをしていらっしゃいました。まだ小学生2年生だった私は、初めて触れる異国情緒にすっかり魅了されてしまいました。飾り棚に飾られた、色鮮やかな食器類、細部にまで細工が施された工芸品。どれ一つとして、我が家にあるものではないのです。触ることもできずに、じっと近くで眺めている私に、「どうぞ、手にとって見てね」と奥様が、優しく声をかけてくださったことでなぜか泣きそうになった記憶があります。仮縫い中、朱色に銀色の鳳凰の柄の中華服を着た母は、とても幸せそうに見えました。
仮縫いがすんだ後、以前から約束をしていた「ブレザー」を買ってもらうため、三宮のトアロードに向かいました。途中、エナメルの靴のかかとが靴ずれてとっても痛くなったので、母の小さなハンカチをかかとに押し込んでもらいました。トアロードには、そのころ関西で一番大きなファミリアのお店があり、ショーウィンドーには天井まで届くスヌーピーが、小さいスヌーピーと一緒にディスプレイされています。私と妹のお目当ては、いつもそのスヌーピーとスヌーピーの着せ替えのお洋服です。
昨年、我が家はある事情で引越しをしました。古い家の荷物を整理していたら、母が急に大きな声を出しました。『可愛い!』
そこには、あの日神戸で買ってもらった小さなブレザーとスヌーピーの着せ替えのお洋服が綺麗にたたんでありました。
私は紺色、妹は赤色。。。あのときの靴ずれの痛みが、かすかにかかとに感じたような。ヒリヒリと感傷的な瞬間でした。







スタジアムが近づくにつれて、ブラジルもしくはベルギーの応援に向かう人たちが増えてきた。街のそこここで、サンバの軽快なリズムが鳴り響き、熱狂的なファンの一団が原色使いの派手な仮装で踊りまくっていた。私たちも日本代表ブルーの応援スタイルではあったが、次第に気持ちが盛り上がっていった。試合はリバウド、ロナウドのGOALなどでブラジルがベルギーを破った。ロベルト=カルロスや若きロナウジーニョのプレーも観戦できた。おいしい神戸牛のステーキも奮発した、きれいな神戸の夜景も堪能できた。家族4人大満足!とても楽しい旅行だった。
私は快諾した。私だって「おいしい神戸牛ステーキ」とやらを食べてみたい。幸い、アルバイトでおこづかいもある。トアロードに面して店を構える老舗のステーキハウスに二人で行った。レンガ作りの外壁に重々しい木のドア。ちょっと気後れしながらその重いドアを押す。中は比較的こじんまりとしていて、鉄板のカウンター席とボックスのテーブルが三つほど。私たちはカウンター席に座った。目の前でコックがステーキを焼いてくれる。まずは豆腐を一切れ。背伸びしてグラスでワインも頼んだ。フランベされながらサーロインが供される。カリカリに焼いた脂身さえもがおいしい。当時でアルバイトの時給26時間分を支払った。
その日からでさえ、もう25年の月日が流れた。私の実家は今も神戸にある。阪神大震災で少し基礎が傾いたが、幸いにして修理してまだ住むことができる。あの時生まれた娘さえ、当時の私の年齢を追い越してしまった。神戸の街は変わらないようで変わり、変わったようで変わらない。M商店もあの老舗のステーキハウスもまだ神戸で健在だ。神戸名物でありながら、縁のなかった「神戸牛」。しかし、私の思い出の中で「神戸牛」は特別な味のする特別な意味を持つ神戸名物なのだ。
悪いことをした、と思うと同時に、何が何でも母の希望を最良の形で叶えたいと考えた。「場所のリクエストはある?」と聞くと「神戸!」とのこと。神戸は、母が今は亡き父と出逢った場所、青春の思い出が詰まった大切な街なのだ。ちょっと切ない思いで「OK、じゃあ神戸にしよう」と私は頷いた。ネットでホテルを予約、コメント欄に簡単に宿泊日が母の誕生日であることを書いておいた。
約束の「夜遊び」の時間。私はそのホテルの35階にあるバーラウンジに母を誘った。眼下に、宝石を散りばめたような神戸の街が広がる。「うわ〜」と母が声を上げたまま動かない。スタッフの男性は少し離れて、母が満足して案内を請うまで、黙って見守ってくれていた。見晴らしの良い窓際の席。母が懐かしげに窓の外に目をやって「あの通りをお父さんとよく歩いたのよ」と話す。色んな思い出が押し寄せて来たのか、母はちょっと黙り込んだ。その時、タイミングよくシャンパンが運ばれて来た。「お誕生日、と伺っております」と、男性スタッフはにこやかにグラスを置く。「おめでとうございます」と声をかけられて、母はニコニコと笑顔になる。ホテルの細やかな心遣いに、私は胸を打たれ、少し涙ぐみそうになった。
異人館、中華街、ポートタワー。深まる秋の神戸の街を満喫した。穏やかな海を渡るさわやかな風。異国情緒に溢れ、洗練された雰囲気の中で、それまで知らなかった相手の一面を垣間見た。せっかちな彼とのんびり屋の私。計画的で用意周到な彼と行き当たりばったりの私。オレンジ色の夕暮れが好きな彼と澄み切った青空が好きな私。何もかも違う2人。でも、笑うタイミングは同じ。2人の距離は確実に縮まっていった。
眼下に広がる神戸の街。静かな街の光はやわらかく、そしてあたたかい。海側に目を向けると、メリケンパークの観覧車がとても眩しい。すっかり見とれてしまい言葉を失った私は、その場所から動けないでいた。どれくらい立ちつくしていたのだろう。しばらく静かな時間が流れてから、後ろに彼の気配を感じた。次の瞬間、私の胸元にはネックレスが揺れていた。泣き虫な私に、涙のかたちのダイヤモンド。ジュエリーデザイナーを夢見る彼が2か月もかけて作ってくれていたなんて。そのダイヤモンドは夜景に負けないくらい、私には眩しく輝いて見えた。ありがとう、どういたしまして、と言いながら身を寄せ合う2人を、神戸の夜は優しく包んでくれていた。
それから20年後の2005年、肌寒い春の日。私はふらっと一人で神戸に行き、自転車で街を走った。新神戸駅で自転車を組み立てメリケンパークへ。
