今回のパリは計画的なものではなかった。休日の昼下がり、家で1人酒を飲んでテレビを見ていたのだ。 パリの下町、それも最初の留学生活を送ったサン ジェルマン、デ ボザール界隈をカメラだけが散策するように移動する。「あっ、猫だ」とか「空が青いです」とか、ときどきナレーションが入るだけで音楽も無い。 なにげなく見ていたのだが、番組が終った時、泣いていた。すぐにバッグに荷物を詰め、旅行社に電話し、パリ行き最終便を予約すると家を出た。妻と子供たちは留守だった。 美術学校の前を這入った、デ ボザール通りのロテルに部屋をとり、家に電話を入れた。「なによ、こんな時間に。何処にいるの、えっ、パリ!」。 絶句する妻に世話になった友人が亡くなったと電話が入ったので飛んで来たとだけ告げ、大学の研究室にも同様の断りと1週間ぐらい掛かるという伝言を残してベッドに横になると、長いこと天井を見つめていた。


30年前のあの頃も毎日こうして天井を見つめていた。あまたあるパリのレストラン、バー、カフェは夜ともなると人々で溢れ、談笑と喧騒が明け方近くまで続く。 その中に入って行くことはできるが、それは和することではない。この個人主義の都会では1人はいつまでも1人なのである。何度も通えば顔見知りはでき目礼を交わす、がそこまでである。 すぐ混じり合う日本から来るとこれが堪える。スポーツでもしてと考えても、スポーツクラブはもっとクローズで近寄りがたい。そしてただ天井を見つめる。 最初の長い冬、「私の孤独」と言うシャンソンを口ずさみながらなんとか耐えた。「今日から私は孤独ではない、私の孤独と一緒だから」。「アベク マ ソリテュド」と繰り返した辛い思い出。 しかし、フランソアが出現して一変した。「アベク マ ソリテュド」が「サ セ パリ」になったのだ。


空腹を覚えて起き上がった。たっぷり眠ったらしい、暗くなっている。ふらふらと表へでた。セーヌの河畔へ出てしばらく冷気にあたる。長時間のフライトで茫漠としていた気分が落ち着いてくる。 ここ数ヶ月続いていたあのイライラと頭痛が消えている。宿痾からの開放、憑き物が落ちた後のように、すがすがしくゆったりとしている。寒くなったのでドュプレの方へ引き返す。 歩幅まで変わっている。東京を歩くようにせかせかしていない。ヤコブ通りで人ごみの中に山田を見かけて立ち止まった。山田がパリにいる、その事実に驚いてしまった。 見つからないように人影に隠れ後を追う。酒に酔っているのか山田は左右に揺れながら歩いている。レ ドゥ マゴに入って真っすぐカウンターに向かう。タバコを買い、ウィスキーを注文した。 立て続けにストレートで2杯煽ると セーヌに向かった。河畔を左に折れ5,6分歩いて、手すりに寄りかってタバコを吸い始めた。タバコを持つ手が小刻みに震えている。暗い川面を見つめている。 昨年、奥さんの葬儀で会った時より一回り小さくなったように感じる。窶れて生気が無い。1時間位、立たずんでいたがふらふらと歩き始め、明るい所を避けるようにヤコブ通りの下宿に帰った。 ゲート内に消える山田を見送って、寒さを感じた。身震いしながら山田は死ぬと思った。

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