冬を前に俊介は発っていった。この二月の楓への執着は何だったのか。楓の体に火照りがまだ残っている。
口には出さなかったが、俊介は本気で子どもが欲しかったのだろう。しかし、二人とも自然に任せようと考えていたのだからやむを得なかった。
一人で冬を越すのは始めてだったが特に不安はなかった。ただ五年間いつも傍にいた俊介がいないのが隙間風のような肌寒さを感じさせた。それにも追々慣れるだろうと冬支度に精を出した。
春から以前好評だったジャム作りの連載を始める事になっている、毎回作ったジャムを読者にプレゼントすると言う企画である。
そのためにこの冬に試作を試み、食品衛生法などを勉強しなくてはならない。楓は朝から台所に立って、ジャム作りに励んだ。
うまく行くかないと満足するまで何度もやり直し、上田の老舗のジャム屋に電話をかけて工程をチェックしてもらった。時間はたっぷりある。
試行錯誤を繰り返してできるようになって、次は味作りである。素材の甘さをいかし、すっきりとした甘さに仕上げたい。
パンやクッキーに付けて食しても、紅茶やお湯に解いて飲んでも明るい甘味でさっぱりした後味のものにしたい。素材と砂糖の量を変え、煮込む時間を5分きざみで変えてテストする。
家中、甘い香りが満ち、朝の目覚めから素敵な気分だ。香りに慣れて味が分からなくなると、冬の薄い日差しの林を歩く。
すさまじい寒さが口や鼻を清め、こめかみをキリリと締め付ける。
背筋を伸ばし肺に冷気を満たして歩く。そうだ犬を飼おう、こんな時犬に語りかけながら歩けたら、物思いも苦にならないだろうし一人暮らしも楽しくなる。
寒さに強く頭のいい犬種がいい。これが一区切りついたら早速探し始めよう。この思いつきに浮き浮きして暖かい家に帰った。
3月に入って試作は終わった。後は其の時其の時、ここで取れる旬の素材で作っていけばいい。まずは雪の下に埋められて冬を越した雪りんご、ブルーベリー、ラズベリー、
ストロベリーのベリー系、山で採れるレッドカラントにアプリコット、いちじく、ルバーブ、山葡萄、巨峰、白桃、ラ・フランス、そして最後は取れたてのりんごで終る。
これで1年やれそうである。担当編集者の山口に連絡して試食会をすることにした。メンバーの人選は山口にまかせ、楓は町内会のうるさ方にも声をかけた。
当日集まったのは、東京から編集長、担当の山口、料理ページに登場する研究家、地元から町内会にあるホテルの支配人、行きつけのレストランのオーナーシェフ夫妻、
上田のジャムやのおやじさんであった。家に入るなり染み付いた甘い香りに「おっ! 頑張ってますね」「力が入ってますね」と冷やかし半分だった。
楓は冬中かかって仕上げた4種類のジャムをパンに付けて、クッキーに載せて、紅茶とお湯にといて、最後はスプーンに盛ってだした。
最初は「うーんっ」とか「うまいっ」とがやがややっていたが次第に無口になり、何度も戻って試食を繰り返す。「これ、いけてるよ」とオーナーシェフが言うと皆が同意した。
「うちで売ってるものよりおいしい」と支配人、「うちで売るよ」とジャム屋のおやじさん、「やっぱり作り手のセンスね」と研究家の締め、
編集長がプレゼントを毎月10個から30個にかってに変更すると後は大褒め大会になった。まあ、合格というところだろう、
楓もほっとしてその夜はオーナーシェフのレストランに繰り出して前祝となった。




画面上へ