Web Magazine TOP > 男の隠れ家・女の城
一期一会


| 1 | 2 | 3 |

ウィンブルドングリーン・ポルシェ 1


女の城と聞けば男はなまめかしい想像を巡らすが、女の城の住人が一人で、個性がいっぱいに詰まった秘めやかな空間だからである。城は守りのために築かれる。壕を堀り城壁を高くし何人をも近づけない安住の居城、ここで体と心を休め明日の戦に具えるのである。戦いを持たない女性には不必要なものであろう



イメージ
何時からポルシェに惹かれ始めたのか、気がついてみると何冊ものポルシェ特集のカー雑誌が手元にあった。膠原病の悪化により指の関節に生じる活膜の除去や整形の手術ために、入院を繰り返すようになって病室の下の駐車場に止めてある主治医の赤いポルシェカレラを眺めていたせいなのか、それとも不相応に356ロードスターに憬れる男性同僚の長広説を聞きすぎたせいか、ともかく彼女の知識は相当のものになっていた。

ポルシェはフォルクスワーゲン・ビートルを作ったフェルナンド・ポルシェ博士の息子のフェリー・ポルシェによって1947年に設立され、スポーツカーとレーシングカーを専門に開発製造してきたドイツのメーカーである。1951年356クーペを駆ってレースに参入、以後今日までタルガフローリオ、ルマン、F1等のレースで活躍、1963年水平対向6気筒2リッターエンジンの名車911がデビュー、人気を博してきた。

10回の手術によって彼女の両手の握力は0になり、足にも変形が現れ始めていた。手の指の関節は30あり、足の指にも30ある。それに手首、肘、肩、足首、膝、そして首。変形は小さい関節から起こってくる。障害者手帳に記された障害度はすでに最高の1となっている。朝の強張りが激しく起き上がるだけでびっしょりと汗をかく。天気が崩れるときは、痛みで起き上がることもできない。病状の進行を遅らせるため、週末毎に抗がん剤治療が行われ、土日の2日間は吐き気と気だるさで、ただ横たわっているだけになる。そんな時でも、彼女はポルシェの写真を見詰め、ひたすら疾走する911を思い浮かべた。

会社の総務の医療費の担当者から連絡があり、正式に障害者届けを出すように勧められた。彼は医療費の請求書類から彼女の病状を正確に把握している。返還金の請求も大変だろうからと変わってしてくれていた。この会社の障害者対応は優れている、だから出したほうがいいという。彼女をよく知っている同僚や先輩は反対した。彼女は同期の中でも早くに次長になったが、届けを出せばラインから外される、その結果は決して愉快なものではないという。

彼女は決心した。ポルシェを買おう、最新の水冷の新車でなく、911から930と受け継がれたポルシェの思想がぎっしり詰め込まれ、しかもカエル目の930の外観をまとい、80パーセントのバーツを新製しながら、なお空冷を保ち「最新のポルシェこそ最善のポルシェ」と当時言わしめた946を買おう。彼女でも運転できるティプトロギア、パワーハンドル、パワーウィンドの程度のいい物を探すのだ。病気の進行が早いとポルシェの運転はすぐできなくなる。今が最後の時にほかならない。



次回へつづく
| 1 | 2 | 3 |







もどる