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一期一会


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男の隠れ家、女の城 2


「男の隠れ家」という言葉はじつによい響きである。なんとなくわくわくするし、何か落ち着ける、ゆったりした処、好ましい場所という響きがある。なんとなくであり、何かなのであるが夢を感じる響きである。隠れ家という以上は人目に付かない、知られない、なんびとも無想さには立ち入れない領域でなければならないだろう。



悠々と急げ

このホールを囲むようにして、書斎兼寝室、予備の部屋、バス、キッチンが在る。家の主は、ある日突然、「カサ・ブランカ(白い家)」と叫びつつ家族が侵入するまで、ここで幸福な時をすごした。押し出された開高さんは、釣竿や猟銃を担いで、再び世界中を駆け巡る。南北アメリカ、アラスカ、ヨーロッパ、モンゴルと走りつつ、新たな隠れ家造りに取り掛かる。旧隠れ家の西に新たに書斎兼寝室、バス、キッチン、地下に書庫、そして玄関まで増築して、門扉を入ると、「哲学の小路」の案内板があり、矢印で示して、庭を回って直接新隠れ家に入れるようにした。ご丁寧にも母屋との連結の扉にはこちらから鍵が掛かるようになっている。

書斎の四方をアラスカのキングサーモン、アマゾンのピラルク、モンゴルのイトーなどの釣果の巨大な剥製、アラスカで仕留めたトナカイのトロフィで飾り、思い出のルアーの数々を吊るし、寝室部分の壁をアラスカの地図で貼り廻らし、ものにしたアラスカブラックベアーの毛皮を磔にして、お気に入りの空間を創った。 「男が夢中になれるのは、危機と遊び。寝床にひっくり返って本を読むのが最高の贅沢」とのたまわった。開高さんの贅沢がしばらく続いた。その間も、飲み、語り続けた。そして叫んだ、「ついに見つけた、これで30年生きられる」。開高さんは狂喜乱舞した

イトーを追いつつ遭遇したモンゴルの民、13世紀モンゴルを統一し、中国、朝鮮を征し、イスラム、ロシア、ヨーロッパ、日本を侵し、奪い尽くし、殺し尽くし、焼き尽くしてモンゴル帝国を築いた民、北京に都を置き元と称し、贅沢三昧、やりたい放題尽くした大帝国が崩壊するや、遺跡、墓、道路、町、村、記念碑、一切形あるものを地上に残さなかった。来る日も来る日も、羊の肉を水で炊き一摘みの塩を入れて三度三度食す民にあの中華料理の豪華絢爛はかけらもない。偉大なる虚無の民。この民の不思議を思索するうちに大いなる空白に至ったのである。この大帝国の建設者、チンギス・ハーンの墓が未だにどこにあるか分からないばかりか、元朝十四代の皇帝、その誰一人の墓も未だ発見されていない。

チンギス・ハーンの陵墓探索、無人ヘリコプターに磁探を積み地中を探る「ゴルバンゴル(3つの河)計画」が出来上がった。開高さんはやおら起き上がって、自ら計画を説き、出資を募りって歩いた。計画が動き始めたとき病に捉われ、病室から指令を出しつつ開高さんは逝った。

松籟の聞こえるカサ・ブランカ。まさに悠々として急いだ男、シュリーマンになろうとした男の思索の家である。

開高健の隠れ家は「開高健記念館」として公開されています。

公開日 毎週金、土、日の3日間と祝祭日(年末年始は12月29日から1月3日まで休館)。10時より18時
住所 神奈川県茅ヶ崎市東海岸6-6-64
電話 0467-87-0567


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開高健(かいこう たけし)
1930年、大阪市生まれ。第二次大戦後旧制大阪高等学校文科甲類(英語)に入学するが、学制改革のより翌年、大阪市立大学法文学部法学科(現・法学部)に入学。大学在学中、同人誌『えんぴつ』に参加。1952年、同人仲間だった詩人・牧羊子と結婚。『裸の王様』で芥川賞受賞し、これを機に執筆業に専念。1964年、朝日新聞社臨時特派員として、戦時下のベトナムへ。『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇』(未完)の3部作はこの戦争の体験をもとに書いた。世界中に釣行し、『オーパ!』『フィッシュ・オン』など釣りをテーマにした作品も多い。食通であり、食と酒に関するエッセイも多数ある。1989年、死去。享年58歳。墓所は鎌倉・円覚寺。後半生の16年間を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設されている









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