
今年、演奏活動20周年を迎えます。その記念のコンサートでは、今いちばん好きなドビュッシーを弾きます。
ドビュッシーは作曲の技法に縛られながら書かれていたクラシック音楽に、それまで禁じられていた技法を多く使うことで新しい風を吹き込んだ人です。
その切り開いていく前向きな姿勢にひじょうに共感します。また、音の響きも色彩感があって純粋な感じがして好きです。
「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」など有名な曲がたくさんある中で、今回はあえて晩年に書かれた「12の練習曲」を選びました。
ドビュッシーが晩年、誰に迎合するわけでもなく、人の耳を気にせず、自分の思いの丈を注ぎ込んで書かれた曲集です。
20周年の記念のコンサートで、私も自分の思いを込めたプログラムを組んだので、そういう意味で思いが重なり、どうしても弾きたいと思いました。
20年前にロンドンで演奏活動を始めたのは、イギリスのリーズ国際コンクールで3位に入賞したのがきっかけです。
アメリカのジュリアード音楽院に留学していたとき、たまたまロンドンから遊びに来ていたベンジャミン・キャプラン先生を紹介され、「私の探していた先生がいる!」と思ったのです。
しかし、当時、私の家には先生についてロンドンへ行く経済力はなく、ジュリアード卒業後、日本に帰りました。
ところが、しばらくすると、先生から速達で殴り書きの航空便が届きました。それには、大富豪の親戚が1000ポンド出してくれるから、そのお金でこちらに来て勉強しませんか、と。
条件は、レッスンの効果を見るためにリーズの国際コンクールに出ることです。やってみませんかという手紙でした。
受け取ったその日にロンドンへ国際電話をかけ「やります!」と返事をして、スーツケース一つでロンドンに行きました。
当時は、洋服を3、4枚しか持って行かなかったから、荷物もなかったですね。ずいぶん後になって友人に、「典子ちゃん、いつも同じ服着ていたね」と言われたほどです。(笑)
当時はほんとにお金がありませんでした。ロンドンで2ヵ月半のレッスン後、コンクールに出場するために(ロンドン中部の)リーズへ出発する前日、
銀行へ行って「40ポンドおろしたい」と言ったとき、窓口のおばさんが身を乗り出してきて「ほんとにいいの?
おろしていいの?」って聞くんですよ。「どうしてですか?」と聞き返すと、「40ポンドおろしたら、口座には7ポンドしか残らないけど大丈夫なの?」と心配してくれているんです。(笑)
でも当時の私は、いたって平気でした。40ポンドあればコンクール会場まで行ける、それしか考えてなかったんですね。
日本へ帰る航空券を持っていたので、ダメだったら飛行機に乗って日本に帰ればいいと思っていました。もしも今だったら、私の口座に7ポンドしかなかったら、
「どうしよう!」と腰抜かしちゃってますよ(笑)。仕事をして稼げるようになってみたら、少しでも減ると不安になります。「裸一貫で」なんて考えられなくなってしまったんですね。
当時は若さゆえ、怖いものがなかったんですよね。
小川典子(おがわのりこ)
繊細なタッチから、ダイナミックな大音量まで、楽器の能力を最大限に引き出す日本を代表するピアニスト。1987年リーズ国際コンクール3位入賞を機にロンドンと東京を拠点として活躍。
日本はもとより、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・リヴァプール管弦楽団など世界の主要オーケストラ、指揮者との共演も数多い。
録音も北欧最大のレーベル、BISと専属契約を結び、話題を呼ぶ20枚のCDをリリース。現在は「ドビュッシー・ピアノ曲全集」録音を進行中。01年、英国の実力派ピアニスト、
キャサリン・ストットとピアノデュオを結成。2人のために作曲されたG・フィトキン作曲の2台ピアノ協奏曲「サーキット」は、今夏にミューザ川崎シンフォニーホールにて東京交響楽団と演奏、
CD録音をし、大成功を収めた。08年には演奏活動20周年を迎えサントリーホールを始めとした各地でのリサイタルを予定している。
今までの執筆原稿と新たに書き下ろしたものを加えた本が、時事通信社より2008年刊行予定である。
ミューザ川崎シンフォニーホール・アドヴァイザー。「ジェイミーのコンサート」主宰。1999年文化庁芸術選奨文部大臣新人賞受賞。2006年川崎市文化賞受賞。
オフィシャルホームページ http://www.norikoogawa.com/




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