日本にはヴィオラの指導者がいなかったので、ヴィオラを学ぶには留学するしかありませんでした。フルブライト奨学金を申請し、両親の反対を押し切って、イェール大学に留学。 父は留学に反対していたのですが、行ってしまってからは、父の友だちに連絡してくれて、ずいぶんご馳走になりました。父自身、何度も尋ねてきてくれたし、手紙も書いてくれました。

仕事から帰宅してテレビを見ていたり、ゴルフから帰ってボヤっとしている姿しか見ていませんでした。ところが、外国で一人の人間として出会うと違う父が見えてきたんです。 素直に感謝できました。

ヴィオラに転向して2年目、ポキプシーという町で行われる新人コンクールで優秀し、賞金500ドルをいただきました。 この賞金はぜひとも有意義に使いたい、そう思った私は、賞金で、プエルトリコで開催されるカザルス音楽祭に行くことにしました。 そこでフェスティバル管弦楽団のヴィオラ奏者に思い切って話しかけ、演奏を聴いてもらい、それがきっかけでホテルのラウンジで演奏会を企画してもらうことになりました。 そこでの人間関係で、また何かの流れに乗って、ジュリアード音楽院に行くことになりました。

ジュリアードにいる間に国際コンクールで優勝をし、ジュリアードをやめてからはヨーロッパを転々としながら演奏をする生活になりました。 あの頃、ひとつのことが必ず次につながっていったというのは、すごく不思議でしたね。人との出会いも、まるで天から降ってくるような感じで、すべて直感で来るんです。 そのたびに不思議なもので、磁石に吸い寄せられるように引きつけられて、ホイホイついていってしまう。荷物をかついであちこちの国を渡り歩き、まるでジプシーのようなな生活でした。

その間に最初の結婚をして子どもも生まれ、片手に楽器、片手に子どもを抱えて、どこでも行っていました。 土地が肌に合わないとか、音楽性が納得できないとなると、さっさと去っていくこともありましたね。おかげでいろいろな人から怒られましたよ(笑)。 「AとBとどちらがいいかな」などと迷っているときは、足踏み状態でぜんぜんダメなんですよ。そういうときは、どちらを選択したとしても、たぶんダメだと思っています。 「これだ」とか「この人だ」と思わないと。

ビジネスの世界の方からも、同じような話をうかがいます。 父は通産省に勤めた後、経済界で仕事をしましたが、新聞のコラムに書いていることを読むと、やっぱり同じようなことを言っている。 ちなみに父の文章には、「直感と辛抱」と書いてありました。

なんと言っても、やっぱりタイミングでしょう。同じことでも、受け入れてもらえない時期もあるけれど、ちょうどうまくいったときに、物事が動きます。 「今だ」という時があるんでしょうね。逆に言うと、時が満ちていないときは、じたばたしても始まらない。 物事がうまくいかなかったり、問題が次々と起こる時期もあります。私も、本当に頭を抱えてしまうような問題はたくさんあったけれど、後ろは振り返らない。 何かイヤなことがあっても、こだわってしまうと先に行かれないので、忘れてしまうんです。根が楽天家なんでしょうね。 そもそも本当に大事なことは、わずかしかなくて、あとはどうでもいいようなことでしょう。そう思って、生きています。



今井信子(いまいのぶこ)
1942年生まれ。若い頃から数々の国際コンクールで受賞し、現在、国際的なヴィオラ奏者として、ソロ、室内楽に活躍。後進の指導にも力を注いでいる。 ヴィオラ音楽の振興に力を尽くし、とくに1992年からはじめた「ヴィオラスペース」は、ヴィオラの祭典として世界的に知られている。 ヴィオラのための新しい作品も数多く初演し、CDも50タイトルを超えた。 その功績に対して、サントリー音楽賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など、数多くの賞が贈られている。 近著には歩んできた道の回想エッセイ『憧れ ヴィオラとともに』がある




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