一休な宿泊


ヴィオラという楽器でやっていこうと決心した日のことは、はっきりと覚えています。その瞬間に、人生が決まったのです。 そういうめぐり合いを得て、私はすごく幸運でした。

小さい頃からヴァイオリンをやっており、専門的な勉強をするために桐朋学園の高校に入学しました。ヴィオラに初めて触れたのは、高校3年のとき。 室内楽に夢中になり、学内の演奏会でヴィオラを担当しました。大学でも、「ヴァイオリンの人はみなヴィオラも弾きなさい」と言われたので、ヴィオラもやりました。 ヴィオラを弾くと、不思議なくらい解放された気分になるんです。だからといって、ヴィオラを専門にしようとは思っていませんでした。

大学4年のとき。桐朋学園弦楽合奏団の一員としてボストンに行った際、ボストン交響楽団が演奏するリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」を聞き、 ヴィオラが歌うサンチョ・パンサのメロディに心を掴まれてしまったんです。あの音が出せるのなら、もうヴァイオリンは弾きたくないとすら思った。ほとんど直感的です。
私は演奏が終わるとすぐに、「ヴィオラの方に会わせてください」と、楽屋まで押しかけて行きました。そういうときはがぜん、行動的になります。 夢中で「ヴィオラ奏者になりたいんです」と言い、演奏を聴いていただきました。 そして「あなたの手は結構大きいから弾ける」と言われた瞬間、ヴィオラ奏者になる決心をしました。

当時、ヴィオラを専門に指導する人は、日本にはいませんでした。でも不安はなかったんです。 たぶん、どうやって音楽を作っていくかを、恩師である齋藤秀雄先生に教えていただいたからでしょうね。
齋藤先生は、黎明期の桐朋で、エネルギーの渦の中心にいらっしゃる方でした。

齋藤先生は弦楽器を教えるメソッドを作ったパイオニアでもありました。本当に厳しくてスパルタ教育だけど、とても温かい方でした。 一番大事なのは、一つのことに夢中になって、最後までやることだ、とおっしゃいました。 小澤征爾さんをはじめ、あの時期、齋藤先生のもとで一緒に育った人たちとは、今も通い合うものがあります。

当時はまだモノがない時代で、寒いとか、おなかがすいたとか、そういう思いをしながら練習していました。 レコードや譜面を探そうと思ってもなかなか見つからないし、音楽会も少なかった。モノがたやすくは手に入らなかった時代です。それがよかったのかもしれません。 ハングリー精神と言えばいいのか、それだけにかえって、求める気持ちが強くなるんですね。 今の時代のほうが、よっぽど激しい情熱や意欲を持っていないと、目標に向かっていきにくいのかもしれません。

自分がどう生きるのか。何をしたいのか。その気持ちがすごく大事だと思います。 頭で考えて、「これをするべきだ」というのではなく、やりたいと思って夢中になる。私にとってそれが、ヴィオラでした。



今井信子(いまいのぶこ)
1942年生まれ。若い頃から数々の国際コンクールで受賞し、現在、国際的なヴィオラ奏者として、ソロ、室内楽に活躍。後進の指導にも力を注いでいる。 ヴィオラ音楽の振興に力を尽くし、とくに1992年からはじめた「ヴィオラスペース」は、ヴィオラの祭典として世界的に知られている。 ヴィオラのための新しい作品も数多く初演し、CDも50タイトルを超えた。 その功績に対して、サントリー音楽賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など、数多くの賞が贈られている。 近著には歩んできた道の回想エッセイ『憧れ ヴィオラとともに』がある




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