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一期一会

柊家柊家

一期一会
一期一会
一期一会 一 三 四

二. 名水に育まれ

渡辺 敷地の広さはだいたい同じですか。 百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 トンプソン氏

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 景色
西村 時代でいろいろありまして。ただ、土地はこの一画を持っていましたが、よそに買われていったところもあります。
渡辺 今、何坪ありますか? かなり広いでしょう。
西村750坪ぐらいです。
渡辺 京都のど真ん中にね。750坪もあるんですか。
西村 たまたまその御池の側に面してしまって、地価税が上がった時は父がいつも暗い顔をして、この先どうやって地価税を払いながら営業を続けるかって、かなり真剣に悩んで、うつ状態になっていましたね。その時代時代で、祖父母の時は戦争がありましたし。昔の資料で、江戸時代の飢饉の時、文化博物館で見た資料に、近隣に食糧を公平に分けようという申し合わせ状の何人かの署名と判があるところに、柊家の名前があったんですね。
渡辺 江戸の飢饉の時に。
西村 その資料に、飢饉の時代もあったことがわかりました。いろいろな時代があって、家業を守り続けるのも大変だったと、改めて知りました。
渡辺 本能寺があったところじゃないの、ここは。
西村もともとの本能寺から焼けた後に移っています。
渡辺 京都市役所も、すぐそこでしょ。
西村 市役所があったので、御池通りが広くなる時、市役所を残して南側を全部削ったんです。
渡辺 御池通りは、割合新しくなって、広くしたのでしょう。
西村 終戦直前の昭和20年の1月です。 百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 オブジェ

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 ドア説明

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 オブジェ

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 オブジェ
渡辺 京都は戦災を受けていないんだからね。
西村 だから、昔の京都の人は、戦争というと応仁だと思ってしまいます。戦争の被害をずっと受けなかったですから。
渡辺 そうそう、ここは水がうまい。今朝も部屋のポットにあったのを飲んだんだけど。
西村 京都は御所の近くの梨木神社の水が有名ですけど、ここは同じ水脈です。井戸の深さによって、水の味が違います。
渡辺 相当深いんですか?
西村 うちが60メートルほどです。御池の地下鉄ができる前は、浅井戸を使っていましたが、地下鉄ができて、かなり掘り下げられたので浅井戸が出なくなってしまいました。
渡辺 屋敷内の井戸からこんなにいいお水が出るのがすごい。柔らかい水だね。
西村 水の味がよくおわかりになるんですね。
渡辺 味はわかるの。それと新館を見せてもらったけど、よかったなあ。
西村 私どもで一大決心をして、次の世代に残していくという思いで作ったんです。
渡辺 光をうまく利用して、お風呂も落ち着いて、床の間や天井などの明りとりもよく工夫していて。
西村 何年か構想して、やっとでき上がったのが去年です。一部屋ずつ全部作りが違います。天井も床の間も、間取りも。脚が悪い方や、布団が苦手な方にベッドの部屋も作りました。一部屋ですが。
渡辺 対談をしているこの部屋は、三島由紀夫さんがよく泊まったんですか? 川端康成さんのお気に入りの部屋もあるとか。
西村 そうです。三島先生がお泊りになった部屋ですね。吉川英治先生も。
渡辺 ここで書いたのかな? あそこの窓側の机で書いたのかな。
西村 書き物をされたかどうかはわからないです。
渡辺 当時の文机は低くて小さくてね。よくあんなところで書いたと思うけど、当時の作家は書く量が少なくて、今の作家よりはるかに優雅だったようでね。原稿料も高かったから。
西村 川端先生はよくお泊まりになりました。先生はどこでお書きになりますか?
渡辺 僕は机とイスがないと書けない。昔の人は足がしびれなかったのかな。
西村 川端先生は奥様とか、お仲間が来られた時は、いろいろなところへ行かれて、お一人の時にはゆっくりなさってくださいました。
渡辺 川端さん、こんないい旅館に1人で来るの? 彼女と来たりしないんですか。ヤエさんに聞いてみないと。(笑)
西村 ヤエを引っ張り出してこないとわかりませんね。母もお目にかかっていますが、そんなにお親しくもなく、ごあいさつする程度でしたので。
渡辺 川端さん、しゃべらない人だったようで。女性も黙って見ているだけで。
西村 第一印象がすごく厳しい視線だったとか。几帳面で厳しいという感じが母にはあったようですが、お話しすると物腰の柔らかい方でいらしたようです。
渡辺 僕が知っている祇園の芸子が舞妓の時に、川端さんにホテルに呼ばれて。「コウセイです」っていわれたので、「え、コウセイさんってどなたですか」ってたしかめたっていってた。康成(やすなり)のことをコウセイっていうんだね。ちょっと来てほしいと呼ばれて部屋に行くと、「あ、そこに座っていて」っていわれて、黙って見られるだけで、いたたまれなくなったらしい。「何かお茶でも飲む?」と聞かれただけで、あとは20〜30分、ほとんど話もなかったので、「もう帰ってよろしおすか」っていうと、「ああ、ご苦労さん」って帰してくれたって。 百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 オブジェ

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 ドア説明

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 オブジェ
西村 川端先生はヤエから聞いても、お話はされる方ではなかったようですね。
渡辺 川端さんは、京都ものを何本か書いているから。
西村 でも、そうやって、いろいろ京都をじーっと観察してはったんですね。
渡辺 変な話だけど、川端さんは視姦だね。目で見るだけで犯しているんじゃないかなあ。ところで、その当時と部屋の大きさは、ほとんど同じですか。
西村 変わっていません。御池通りがだんだんにぎやかになってきたので、防音のためサッシを入れたぐらいです。
渡辺 部屋のトイレに入っておかしかった。洋式の座るトイレと、しゃがみ込む和式のと、両方が同じ部屋に二つ並んでいる。昔はあのようにしゃがんでしていたんだったと懐かしかった。今でも和式じゃないと困る人がいるんですか。
西村 もういらっしゃらないでしょうね。ちょうど洋式に変えていく時に、まだちょっといらして、和式をつぶすよりはと2つ並べました。外国の方が、日本のトイレをぜひ見たいとおっしゃって、和式がある部屋に泊まってトライして、1回でギブアップされましたけど(笑)。もう日本の方でも無理ですね。
渡辺 ここは、外国の方も多いんでしょ。
西村 去年、今年でずいぶん多くなりました。インターネットの時代ですから、ネットで探して予約なさいます。それから、国のビジットジャパンや京都市の海外誘致PR活動の影響もあるようです。
渡辺 いわゆる、古い日本のスタイルにあこがれて来る人も多いだろうな。
西村 日本に来ても、日本らしいところがなくなってきましたから、京都へいらして、たとえ1日でも旅館へ泊まる。京都の一番いいところはどこだとよく聞かれるんですが、答えにくい。京都は焼け残って、どこが一番っていわれても、その人の好みにもよりますし、何を求めて来られるかにもよりますし。工芸・文化・芸術、いろいろあって、ものすごく難しい質問なんです。
渡辺 柊家っていう名は、どなたがつけたんですか?

西村 先祖、初代です。下鴨神社の一角に小さいお社で比良木神社がありまして、信仰していたんで、そこからお名前をいただいたんです。その比良木神社には、なぜか柊の木が自生していたそうです。昔の方はいまだに「ヒラギヤ」といわれます。会社登録の時に「柊」という字が「ヒラギ」とは一般的に読めないので、「ヒイラギ」にしたんです。今は「ヒイラギヤ」っていっています。 百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 トンプソン氏

百会楽話 渡辺淳一 × 西村明美 景色


西村明美 (にしむら あけみ)
1948年、京都府生まれ。ノートルダム女子大学英語英文学科卒業。「柊家」6代目女将。1988年、京都市観光大使 おこしやす京都委員会委員に就任。「みやこ女将の会」会長、「京都商工会議所女性会理事」「国際京都学協会理事」として地域貢献活動に尽力を続けている。



渡辺淳一 (わたなべ じゅんいち)
北海道生まれ。医学博士。1958年札幌医科大学卒業後、整形外科講師となり、医療のかたわら小説を執筆。1970年『光と影』で直木賞を受賞。1980年に吉川英治文学賞、2003年には菊池寛賞などを受賞。北海道・札幌に渡辺淳一文学館がある。作品には「阿寒に果つ」「無影燈」「白夜」「ひとひらの雪」「失楽園」など多数。現在文壇の第一線で活躍している。

オフィシャルブログ | 渡辺淳一文学館

渡辺 「ヒラギ」と読むのが正しい?
西村 会社登録前のアルファベットで「HIRAGIYA」っていうサインが残っています。こっちの正面は「HIIRAGIYTA」って書いてあります。どっちが正しいかといわれると、まあどっちもと。「柊家」の「家」も屋根の「屋」だったんですが。今は「家」です。
渡辺 旧館は何部屋ですか?
西村 21部屋です。
渡辺 新館が?
西村 7部屋です。トイレの話から始まりましたけど、生活様式が日本の方が日本の様式になじんでいませんから、新館はすごく苦労しましたね。今までの10年、20年が、1年周期ぐらいでどんどん変わっている気がします。
渡辺 古いものだけ守ればいいっていうものでもないしね。大変だね。
西村 その時に思ったんですが、やっぱり京都っていうのは、工芸やら職人さんやらすごくいい方がいらっしゃって、せっかくの技術も生活様式が変わってくると、途絶えてしまう。そういう時に、次の世代に向けていろいろ工夫をしないと。
渡辺 調和していかないとね。
西村 袋貼りだったり、漆だったり、伝統を守りながら、新しい時代に沿うようなものに工夫していかないといけません。
渡辺 いろいろ、由緒あるものが多い。
西村 この屏風は続いたふすま絵だったんです。先生に昨夜、お食事をしていただいていたところにもあります。描かれた時代と作者が書いてあって続いているものだとわかります。私も何の気になしに、最初からついたてかなと思っていたら、一連のふすま絵で、全部合わせると一連の絵になります。ふすまのままで残っている部屋もあります。使っていると痛みが来るんで補修が大変です。今、2階のお部屋の昔からあったふすま絵も修理しているんですよ。


柊家旅館」は一休.comからご予約いただけます。

Photographs by Toshio Yasui

一期一会 一 三 四



第18回 木村襄司(小樽・銀鱗荘オーナー) …一大道楽で鰊御殿が旅館に
第17回 三國浩紀(アラマンダ支配人) …遠大で壮大な挑戦
第16回 比嘉建己(ジ・アッタテラス支配人) …ヨーロッパのシックなリゾートが沖縄に
第15回 清水かほる(ベネッセハウス副総支配人) …「よく生きる」ことを考える場所
第14回 勝俣伸(富士屋ホテル社長) …かごで上ったアジアンテイストのホテル
第13回 岩村尚子(岩惣 先代女将)・岩村玉希(岩惣 女将) …光雅と静寂の神の島
第12回 中村律子(旅館くらしき女将) …美しき蔵の町の蔵の宿
第11回 向井聖子(三養荘女将) …財閥の別邸
第10回 北山ひとみ(二期リゾート 代表取締役) …十八世紀フランスのサロンを目指す
第09回 西村明美(柊家女将) …京都は京都らしく
第08回 マルコム・トンプソン(ザ・ペニンシュラ東京 総支配人) …日本に学んだおもてなしの心
第07回 星野佳路(「星野リゾート」社長) …世界のリゾートを向こうに
第06回 齋藤朝子(海石榴大女将) …万葉の湯
第05回 石川修(ホテル ニドム社長) …ニドム カムイに授かりし森
第04回 岡副徳子(金田中若女将) …新橋の花柳界を守る金田中
第03回 浅羽愛子(伊豆・あさば女将) …「あさば」はあくまで「あさば」である
第02回 井上旭(シェ イノ シェフ)  …45年間、支持され続けた料理
第01回 古谷青游(熱海・伊豆山・蓬莱女将) …日本で一番早く春が来るところ


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