


井上旭 (いのうえ のぼる)
1945年、鳥取県生まれ。21歳で単身ヨーロッパに渡り、“トロワグロ兄弟”と出会い「トロワグロ」、パリの「マキシム」で修行する。帰国後「レカン」の総料理長を務め、1984年「シェ・イノ」をオープン。2004年に現在の場所に移る。フランス料理の命ともいえるソースにかけては、日本一という声が高い
1945年、鳥取県生まれ。21歳で単身ヨーロッパに渡り、“トロワグロ兄弟”と出会い「トロワグロ」、パリの「マキシム」で修行する。帰国後「レカン」の総料理長を務め、1984年「シェ・イノ」をオープン。2004年に現在の場所に移る。フランス料理の命ともいえるソースにかけては、日本一という声が高い
| 渡辺 | 料理っていうのは、同じように作るわけでしょう。でもこの間、林真理子さんが「“シェ・イノ”は先生と一緒に行くとおいしい。味が違う」って言ってたけど。 |
| 井上 | いや、だけどね、違うって。気を入れてやっている時と、忙しい時とやっぱり違う。 |
| 渡辺 | Aさん、Bさんで違うの? 微妙に変えるの? |
| 井上 | まあ、材料がいいものになっちゃうんですよ。いいワインを使ってソースを作るとかね。寿司屋に行ったってそうじゃないですか。いいお客には、後ろからいい食材を出しますよ。それはもう差別だけどね、差別がお客さんの心をくすぐると僕は思いますけど。渡辺先生がいらしたら、じゃあ、私はこれを出しますって。そういうポリシーを持っていると思います。 |
| 渡辺 | でも、日本では、同じ値段でどうして差を付けるんだって、文句をいってくるでしょう。 |
| 井上 | ま、そういう人もいますけどね。我々もお客さんも、好き嫌いはみんな持っているわけだから。 |
| 渡辺 | ベースとして、おいしいしっかりしたものを作った上で、なおかつ個々に変えるということかな。人に合わせて。 |
| 井上 | そこから、1、2割のプラスアルファは、誰でも持っていますよ。そこの差がね、大きいと思う。 |
| 渡辺 | 日本に戻ってきて、すぐにレカンに入ったの? |
| 井上 | いや、帝国ホテルに。しかし3日で辞めました。 |
| 渡辺 | たった3日? |
| 井上 | 組合が強かったんです。腕章付けて団結とか叫んでいる。僕はヨーロッパに7年もいたから、それは違うだろうと。うまい料理を提供することが僕の使命だから、そういうところに長くいたくなかったんですよ。 |
| 渡辺 | 料理長になったのはレカンが初めて? |
| 井上 | 帝国ホテルをやめて、飯倉片町のシャドネーでシェフになりました。小野正吉ってオークラのシェフに可愛がられて、それで九州の花の木に2年いました。そしてレカンのシェフになったんです。 |
| 渡辺 | あなたにはたくさんお弟子さんがいると思うけど、使ってみてセンスがあるかないかとか、すぐわかるんでしょ。 |
| 井上 | わかりますよ。僕の部下は120人いるんです。シェ・イノが京橋の前の店から今の店に引っ越してきた時、みんな呼んだんです。僕も45年もこんな商売をやってきました。ときにはぶん殴ったり、け飛ばしたりして、でも、そういう時代は僕たちにとっては必要だった。やっぱりそのために辞めたり、伸びたりしているわけですから。 |






画面上へ