









森 一紀(もり かずのり)
1952年、大阪生まれ。1975年に慶応大学 経済学部を卒業し、同年、近畿日本鉄道鞄社。都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)、都イン東京、シェラトン都ホテル大阪、金沢都ホテル、天王寺都ホテル、新都ホテルを経て2008年2月より現職。
辻 利幸(つじ としゆき)
1955年、大阪生まれ。1978年、立命館大学 産業社会学部を卒業。同年、都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に入社し、奈良ホテル勤務となる。(1983年4月1日 鞄゙良ホテルに転籍)食堂、宴会、販売促進課、宴会承り課長、宴会食堂部次長、販売推進部長を経て現職。
樋口逸郎(ひぐち いつろう)
1954年、奈良県生まれ。1977年に同志社大学法学部を卒業。同年、都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に入社し、奈良ホテル勤務となる。(1983年4月1日 鞄゙良ホテルに転籍)食堂、庶務課、総務課、企画課課長代理、宿泊課長を経て現職。
1952年、大阪生まれ。1975年に慶応大学 経済学部を卒業し、同年、近畿日本鉄道鞄社。都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)、都イン東京、シェラトン都ホテル大阪、金沢都ホテル、天王寺都ホテル、新都ホテルを経て2008年2月より現職。
辻 利幸(つじ としゆき)
1955年、大阪生まれ。1978年、立命館大学 産業社会学部を卒業。同年、都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に入社し、奈良ホテル勤務となる。(1983年4月1日 鞄゙良ホテルに転籍)食堂、宴会、販売促進課、宴会承り課長、宴会食堂部次長、販売推進部長を経て現職。
樋口逸郎(ひぐち いつろう)
1954年、奈良県生まれ。1977年に同志社大学法学部を卒業。同年、都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)に入社し、奈良ホテル勤務となる。(1983年4月1日 鞄゙良ホテルに転籍)食堂、庶務課、総務課、企画課課長代理、宿泊課長を経て現職。
| 渡辺 | 防火対策はどうされているんですか。 |
| 樋口 | 屋根の上を見上げていただければわかりますが、とがった部分が避雷針です。木造ですから、やっぱり防火については気を遣いますね。不特定多数の方がお泊まりになりますが、今まで不審火があったとか、燃えたというのは聞いたことはないです。 |
| 辻 | 燃えないために鴟尾が瓦の上に乗っています。池とか海とかで水面から跳び上がりますね。その瞬間の尾っぽの形が鴟尾なんだそうです。あれを左右に置きます。ということは、左右に置いていて、結ぶ大屋根の線が水面。水面の下に木造建築を作るというのは、燃えないためだそうです。東大寺でそうおっしゃっていました。東大寺は2回丸焼けになっていますから。 |
| 渡辺 | 今や奈良ホテルは文化財だから。 |
| 樋口 | ただ文化財になると、営業ができなくなります。 |
| 渡辺 | 造りや雰囲気が文化財みたいなもので。今、何室あるんですか。 |
| 樋口 | 129室です。本館と新館がありまして、本館は64室です。新館が向こうの中腹にありますが、65室で、ほぼ半々です。 |
| 渡辺 | 上に積み上げなかったんですね。高層ビルにしていないのが、またいい。 |
| 樋口 | そうなんです。風致保全地区でいろんな縛りがあります。簡単にいうと、庭の木を1本切るにも許可が必要です。それと建物自体を総量規制をしていますから、例えば1つの容積の建物を建てると、それと同じ容積をつぶさないといけないんです。そういう縛りの中で考えて考えて建てたのが新館なんです。本館のシルエットをどこから見ても絶対に邪魔がされないように、裏側にひっそりと建っているんです。 |
| 森 | 丘の斜面に押し込んだような形です。 |
| 渡辺 | 他のホテルや旅館も、そういう規制を受けているところがいっぱいあるんですか、奈良は。 |
| 樋口 | そうです。このあたりは、高さの規制がものすごい厳しいです。奈良公園に近いですから。 |
| 渡辺 | 創設時に、もう64部屋あったんですね。 |
| 樋口 | いえ、創設時は54〜55ですね。その後建て増しをしています。新館が昭和59年に建っているんですけど、その直前の本館の客室が73です。和室を増やしたり、シングルを作ったりしています。 |
| 渡辺 | 日露戦争は明治37〜38年だね。それから間もなくできたんだから、明治の終わり頃ですね。その時はどこが作ったんですか? |
| 樋口 | 鉄道院です。今のJR、前の国鉄。国鉄の前が鉄道省、その前が鉄道院です。施工は鉄道院がやっています。設計は辰野金吾さん。 |
| 森 | 東京駅を設計している方です。 |
| 渡辺 | 有名だね。要するに国鉄が作ったっていうことですか。 |
| 樋口 | そうですね。最初の経営は、大日本ホテル株式会社の西村仁兵衛という人で、彼は明治時代でいうホテル屋です。ところが大正2年に経営を放り出しているんです。要するに奈良ホテルは金がかかりすぎて、とても民間ではやっていけないということで、その後を継いだのが鉄道院です。ですから奈良ホテルはその時から国営なんです。 |
| 森 | 運輸省と日本国有鉄道を足したようなものですね。要するに日本政府の一部です。 |
| 樋口 | その辰野金吾という人は、何か相撲が好きで、日銀の本店も設計しています。彼は家に土俵を持っていまして、日銀本店の竣工の記念日になると、息子に太刀を持たせて、弟子に露払いをさせて、自分はまわしを締めて、日銀の方向を向いて土俵入りをしていたんです。それぐらい相撲が好きで、彼は両国の国技館、昔のものですが、あそこも設計しているんです。 |
| 渡辺 | ホテルには土俵を作らなかったんだ(笑)。明治の末にしては、画期的なホテルだったでしょうね。旅籠か旅館しかなかったんだから、ホテルの使い方がわからない日本人がいっぱいいたと思うなあ。 |
| 樋口 | 高浜虚子が、大正5年に奈良ホテルに2泊しているんです。テレビなどで旅の番組がありますね、それの大正版で、奈良ホテルに2泊して、感想を国民新聞に9回に分けて書いています。彼は奈良ホテルにきて、ものすごくカルチャーショックを受けています。当時の最新の設備で、一番驚いているのは水洗トイレです。 |
| 渡辺 | 初めから水洗トイレだったんですか。 |
| 樋口 | そうです。 |
| 渡辺 | すごいなあ。 |
| 樋口 | 小用を足した後に、目の前にひもがあったので、ひもを引っ張ると自分の下のところがパコッと割れて、水がザーッと流れて、その開いたところがパタンと閉まった。瀬戸物のトイレという表現を彼はしていますけど、水洗トイレですね。 |
| 辻 | のぞき込んで、高原の岩間ほとばしる清水が張ってあるって、それが攪拌されて、一瞬でなくなって、また元どおりになったと。 |
| 樋口 | 虚子はすごく感動しています。 |
| 渡辺 | それはわかるなあ。 |
| 辻 | お風呂も、壁から出た金属製のねじをボーイが左右に回したって。混合栓のことですね。 |
| 樋口 | どこをひねっても熱いお湯が出てくるって、書いています。 |
| 渡辺 | 暖房は昔は暖炉だったんですか。 |
| 樋口 | 最初は暖炉です。暖炉は大正2年ぐらいに使わなくなって、それに代わるものとして、先生のお部屋にもありますが、いわゆるスチーム暖房になりました。 |
| 渡辺 | あれ、何も使っていなくても、飾りとして素晴らしい。 |
| 樋口 | 今も使っていますよ。 |
| 渡辺 | 使っているんですか。 |
| 辻 | 現役です。あのカンカンカンっていう音が今でもします。 |
| 渡辺 | お湯が通り始める時に音がしてね。昔。懐かしい。 |
| 樋口 | 実は、大正天皇が即位の報告に伊勢と橿原神宮にこられた時にスチーム暖房を作っているんです。そのためにマントルピースを使わなくなりました。奈良ホテルはマントルピースでもっているホテルなのにって、市議会で大変な論争になったようです。マントルピース擁護派と、スチーム暖房推進派に分かれて、侃々諤々の議論があったみたいです。大正天皇のために入れるということで、最後には反対派も黙ってしまったそうです。 |
| 渡辺 | そうですか。 |
| 森 | でもマントルピースが絵になるから、そのまま置いてあるんですが、煙突はいつの間にか取ってしまいました。 |
| 樋口 | 煙突は大屋根に出ていたんですが、天井裏で切っています。煉瓦づくりの大きな煙突でした。 |
| 渡辺 | さっき見せていただいたけど、正面入り口からずっと有名な絵がかけてあるよね。上村松園さんから、福田平八郎さんとか、いっぱい。 |
| 森 | 「花嫁」という絵は非常に人気がございまして。 |
| 渡辺 | ふっくらとして、いい作品だ。 |
| 森 | 絵はみなさま楽しみにいらっしゃいます。 |
| 渡辺 | ここは堂本印象だね。 |
| 樋口 | その後ろにありますのが堂本印象の「春日山」です。 |
| 渡辺 | 少しボーッとしているね。 |
| 森 | そうですね。ふわーっとした景色ですね。 |
| 渡辺 | 建物だけじゃなくて、そういう調度や絵までいろいろあって、気を遣うね。 |
奈良ホテルは一休.comからご予約いただけます。







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