小説にも書いた蓬莱 |
| 古谷 | 先生と初めてお目にかかったのはこのお部屋でした。 |
| 渡辺 | そうだ! 『うたかた』という小説の冒頭シーンで、ここの前庭に艶っぽい木肌のサルスベリがあるでしょうその木の描写から始まっている。 |
| 古谷 | それを先生が初めて書かれて、一泊しかしなかった一晩のことを、2ヵ月間新聞連載に書いたって。 |
| 渡辺 | あのときは、全国の「美人おかみ」というシリーズの取材だった。もう、20年以上前になるね。あの時、ここは日本で一番早く春が来るところ、という思いで書いたけど。 |
| 古谷 | その描写がすごく奇麗でした。 |
| 渡辺 | 「春の海ひねもすのたりのたりかな」の感じだった。ところで蓬莱はいつできたの? |
| 古谷 | ペリーが日本にきた嘉永2年です。外国のお客様がいらっしゃると、「153歳です」「Oh!」ってものすごく驚かれる。その頃は、下で古谷旅館として始まったんです。 |

| 渡辺 | この場所に上がってきたのは、いつなの? |
| 古谷 | 終戦後すぐです。 |
| 渡辺 | 当時は、誰がやっていたの? |
| 古谷 | 父が。その時に蓬莱になったんです。 |
| 渡辺 | 蓬莱ってネーミングがとてもいい。古谷旅館じゃ平凡すぎる。あなたが女将になったのはいつ? |
| 古谷 | 昭和31年。 |
| 渡辺 | すごく若かった。 |
| 古谷 | 20歳の時。 |


| 渡辺 | やれと言われの? お父さんかお母さんに。 |
| 古谷 | いえ、20歳の時に結婚して熱海へきたんです。 |
| 渡辺 | そうか、あなたはお嫁さん? |
| 古谷 | そう、よその人です、私。 |
| 渡辺 | どこから来たの? |
| 古谷 | 仙台です。 |
| 渡辺 | 仙台から引き抜かれたんだね。 |
| 古谷 | そう、引き抜かれたの。(笑) |
| 渡辺 | 今だってこんないい女なんだから、若いときは凄い美人だったろうね。当時の写真ないの? 見たいなあ。家付き娘だと思っていた。 |
| 古谷 | 皆さんそうおっしゃるの。「旦那が東京にいるのか?」とか、「独り者か?」とか言われて、「いや違います、私はここへ外から来ました」って。 |
| 渡辺 | 旦那の気配が見えない。それがまたいいんだよね。 |
| 古谷 | 旦那、しまってありますの。 |
| 渡辺 | それ、いいね。せっかく美人女将に会っているのに、旦那がでてきては艶消しだもね。で、この建物になったのはいつ? |
| 古谷 | 私の結婚式とこの建物の落成と一緒でした。当時は、たった7室。高度成長になりつつある時に蓬莱を作りました。 |
| 渡辺 | じゃあ、この建物はその時以来ずっと同じで。 |
| 古谷 | 中は何度も直しています。昭和54年に大改装していますし。 |
| 渡辺 | それは何か不都合があって? |
| 古谷 | 時代です。昭和31年ごろに突然、旅行ブームがあって、団体旅行のお客様が多くなってきた時に、父が造ったんですね。でも次第に世の中が落ち着いてきて、団体旅行から個人や家族旅行に変わってきました。お風呂付きが1階だけでしたから、これじゃまずいという時に、父も母も亡くなったので……。 ここへ来て今年で51年です。半世紀、よくいましたねえ。本当にそう思いますよ。どうしたらここの家にいられるかということから始まって、いろいろ屈折がありました。改築も、自分が心地よくいられるようにするにはどうしたらいいかって考えました。その結果です。また、お客様の身になって、改築を次々と。男みたいでした。 |
| 渡辺 | どういうところが? |
| 古谷 | 団体様がバスでいらっしゃる。玄関で「いらっしゃいませ」って立ったままでお迎えします。そうじゃなくて、お客さまを玄関で「いらっしゃいませ」と手をついて頭を下げてお迎えするような仕事をしたいって思いました。 |
| 渡辺 | 女将のようないい女が手を付いて迎えてくれれば、また泊まりたいっていう気持ちになるよ。 |






