

『望みは何と訊かれたら』で描いた、飼育ともいうべき、濃密な男と女の関係。私がそういう感覚に惹かれるのには、ある“出会い”が影響しているかもしれません。
ある意味で私を大きく変えた出会い。それは、20年前に唐突に訪れました。
暑い夏の日の夜。夫が外にゴミを出しに行き、戻ってきたと思ったら、小さな汚い生き物がドドドドッと部屋の中に入ってきました。「何これ!」と思って見ると、それは薄汚れたやせっぽちの、小さな三毛猫でした。
正直、私は、猫が苦手だったんです。すべての動物が好きだったのに、なぜか猫だけが違った。なんであんなふうに、無愛想な動物が人に愛されるのかが理解できなかった。
小説に猫を登場させるときも、必ず悪役として登場させていました。『彼方の悪魔』というサスペンス作品では、主人公が海外から持ち帰ったリスの死骸にペスト菌がついていて、それが飼い猫に伝染するという設定で書いていますが、どうして犬にしなかったかというと、犬が大好きだったから。
ですから、夫がノミだらけの猫を連れて帰ってきたとき、私はすぐさま、「こんな汚い猫、早く外に出してよ」と言いました。ところがそのみすぼらしい猫は、無心にソファーの上に登ってきました。思わず顔を見たら、すごく愛くるしい顔をした子猫だったんです。
夫が猫好きだったので、「一晩だけ置いてやろうよ」と。いいかな、と思ったのは、たぶんその瞬間に、私は猫に魔法をかけられていたんでしょうね。
結局、彼が猫のトイレを買ってきて、2、3日、家においたんです。でもペット禁止のマンションだったし、私には猫を飼う自信がなくて。どこかの家から逃げてきたのかもしれないので、帰りたいかもしれない。それで、外に置いてやろうということになって、夫は泣く泣く外に出しました。
ところが6時間か7時間後に、私のほうが我慢できなくなってしまったんです。「あの猫、どうしたんだろう」と、気になって気になってしょうがない。すごく暑い夜でしたが、二人で探しにいくと、「あお〜ん、あお〜ん」というダミ声が聞こえてきた。うちのマンションの数件先のマンションの非常階段で鳴いていたんです。すぐに連れて帰り、その日以来、すっかりその猫のとりこになってしまいました。何者かに毛を刈られていて、まるで五分刈りにされていたみたいだったので、ゴブと名前をつけました。
生活も、変わったどころではない。置いていくのがかわいそうだから、旅行にも行かなくなりました。ゴブが生きていた17年間は、パスポートが切れたままだったんですよ。
東京を離れて軽井沢に移ると、ますます触れ合いの度合いが大きくなりました。あんなに他者と触れ合って、四六時中一緒にいて、吐息の匂いや耳の奥の匂いやウンコの匂いまですべて知り尽くすなんて!あんなに知り尽くせる男なんて、この世にいないと思いますね。3年前に死にましたが、肉球の柔らかさとか、死んだ時の彼女の匂いとか、きれいなものも汚いものもすべて含めて、何一つ残さず覚えています。
もし夫と死別して私が残ったとしても、夫のことは淡々と思い出すことでしょう。こんなふうに胸詰まる思いで思い出すことは、人間同士ではないんじゃないかな、という気がします。私は誰かを好きになって恋愛をすると、全身的な関わり方をしたがるほうですが、あの猫と同列に語れる男は、かつて一人もいなかった。『望みは何と訊かれたら』の男女の、「飼育する」「飼育される」という関係の、ひそやかさ、濃密さは、それに近いかもしれません。「食べちゃいたいくらい好き」という、あの感覚を、およそ言葉だけではなく、肌で知った。ゴブとはそういう出会いでした。
