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一期一会

小池真理子小池真理子 心に残る出会い

小池真理子 すべてのことに意味がある
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[2]「飼育」というエロティシズム

小池真理子 イメージ1 『望みは何と訊かれたら』で描いた沙織と秋津吾郎の関係は、名づけようがありません。あえて言えば、「飼育」という形が近い気がします。
リンチが行われた現場から逃げてきた沙織は、お金もなく着るものもない。誰かに追われているという恐怖を抱え、どうすることもできません。そこで秋津吾郎にかくまわれますが、生まれたときに赤ん坊がすべてを誰かにゆだねないと生きていけないのと同じで、彼女はその状態に戻っていきます。そうせざるをえない状況に追い込まれていたわけです。

最初の頃は、自分は異様なことをやっているとわかりながらも、徐々にそのこと自体が快楽に変わっていく沙織の心理の流れ。また、拾ってきた犬や猫を飼っているような感覚に陥っている秋津も、自分が世話をしていることに対して、やがてそこに快楽を見出していく。特殊ですが、ひとつの男女のあり方ですよね。
普通の恋愛とは程遠いし、愛だの恋だのという関係でもない。では、お互いに無関心かというと、そうではなくて、少なくとも沙織にとって、その状態は、彼がいなくては生きていけないという生命維持の基本です。そのうえで、赤ん坊や子猫みたいに、相手の男から扱われる。するほうにも、されるほうにも、それはどんなに情熱的なセックスよりもエロティックなことかもしれません。
年を重ねたカップルや夫婦間でも、どちらかが病気で寝ついてしまったときに、そのことを妙に新鮮に感じ、張り切って看病することがよくありますよね。うまくいっていないカップルでも、片方が風邪を引いて看病をしたのをきっかけに、関係がうまくいくことは、若い頃にもよくあります。人間は弱っているときに支えたり支えられたりすると、大方のことがどうでもよくなる。弱っているほうは、自分をさらけだすことにすべてを集中せざるをえない。

小池真理子 イメージ2 看病するという行為にもエロティックな面があります。ドレスアップしてシャンパンを飲みに行くわけでもないのに、そこには何かの高揚があります。片方はふせって苦しい思いをしている。先のことも心配で仕方がない。決して希望に満ちた関係ではないけれど、看病し、看病されるというのは、この小説に近いシチュエーションかもしれません。
だいたい人から食べさせてもらう行為なんて、普通の大人は、病気のとき以外はないわけです。それをこの小説では、病気でもない状態の大人が、そういう行為をしている。計算してやっているわけではなく、そうせざるをえない状況に追い込まれている。そこにある種の官能があるのではないかなと思います。

私はどうやら、獣同士が巣穴のなかで一つになろうとして絡まりあう感覚が好きなようです。今回の小説も、男女の原初の形というか、もともと男女はこういう関わり合い方をしたんじゃないかな、と。そこには言葉もいりません。いわば、むきだしの男と女が、そこにいます。
むきだしの自分をさらすのは、単に裸になることではなくて、食べるとか、飲むとか、匂いをかぐとか、五感に訴えてくるものを共有しあうことに尽きるんじゃないでしょうか。


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小池真理子
小池真理子 ― こいけ まりこ ―
1952年、東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。出版社勤務を経て、78年にエッセイ『知的悪女のすすめ』を発表。85年より小説を手がける。96年『恋』で第114回直木賞、98年『欲望』で第5回島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で第19回柴田錬三郎賞を受賞。著書に『浪漫的恋愛』『瑠璃の海』『エリカ』『愛するということ』など多数。今秋、『望みは何と訊かれたら』を刊行

インタビューカット撮影:熊切大輔






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