

昨年発表した初監督の作品『無花果の顔』が、8月末にDVD化されました。まだ女優として新人で生意気ざかりに、もらったシナリオを自分なりに直し始めた。それを10年近くやったら、もうシナリオは書けるようになっているのかなぁ、と思って。シナリオを書くことは、どういう撮り方でそれを表現するかまで考えることでしょう。だったら監督まで自分でやりたいと思ったのよね。
私は新人の子たちの、アマチュアの芝居のよさも知っている。私、かつて、アマチュアで得した部類だし。プロは、アマチュアと犬と子どもには勝てない。それを俳優として経験しているから、監督として作品を作るときは、素人で撮りたいなと思って。それで、役者としての経験はない山田花子さんを起用した。
撮るときは、横から見てカンニングしていたような映画のハウツーは、いっさい使わないと決めていた。1作目は何をやっても許されるから、1作目にしかできないことをやろう、と。作家も、文学を勉強しないときの1作目は面白かったりするじゃない。それがプロになってくると、本当に才能が必要になってくると思う。
『無花果の顔』では、「長生き」をテーマで映画を作ろうと思って。長生きを表現するのに、「古い蛇ほど柄がいい」というコピーを作ったら、みんな笑っていたけど。
そういう映画を作ろうと思ったら、“死ぬ”ことを考えざるをえないでしょう。死というのは、ある日突然テレビのスイッチが切れる、みたいなことじゃないかと思ったの。ただそこにある日常が、プツッと切れる。日常というのは、そんなに決定的に楽しいわけじゃない。残念なことに、今の幸せをどうして今、感じられないのか。思い出になったとき初めて、どっぷりつかっていた日常が実は幸せだったと気づくわけでしょう。私は安心して、どっぷり人に委ねて生きていたとか、過去になると、それが光ってくる。
そういうことを表現するためには、瞬発的な「今」の連続の絵を作ればいいんじゃないかって思ったの。それで俳優が感情を演じないで、第三者の目になって自分を見ているように淡々と演じたら、見ている人間が実感を持たざるをえない。ストーリーを追うというより、見る人が感じるものでつなげていくというのが、映像の力だと私は思うからね。
『無花果の顔』を釜山映画祭に出してみたら、ベルリン国際映画祭の出品作品を選ぶ人たちが気に入ってくれて、4回も観てくれて。パーティで声をかけてくれた。これがもし役者として映画祭行ったら、たぶん話しかけてこないと思う。そのとき、多少は英語が話せるから、どういうつもりで撮ったかという話をしたの。つたない英語だったとは思うけれど、すごく納得してくれて、ベルリン映画祭に呼んでくれた。
ベルリン国際映画祭でNETPAK賞をとったら、その後、ダーッと映画祭が入ってきて、結局17ヵ国に出品したと思う。行けるところは行ったので、今年はすごく忙しかった。
映画祭によってはQ&Aのコーナーがあるし、何か聞かれたら、監督だからしっかり答えなきゃいけない。いろいろな人と知り合って、話をすると、やっぱり映画の内容の話になるので、よくわかり合える。映画祭で出会った人たちが、友達になっていったり。インドの映画界の人とか、北アフリカの監督とか、ロスでは知り合えない人たちと出会うことができる。英語が話せることで、世界が広がるのよね。
今、アフリカの監督と親しくしているんだけど、彼の作品はすごく面白い。聞いたことのない、見たことのないことをやるの、自由な発想で。彼とも、仕事するかもしれない。そうしたら、北アフリカに住んじゃうかもしれないし、この先どうなるか、自分でもわからない。(笑)
1952年、東京生まれ。12歳で英国ロイヤル・バレエ・アカデミーに留学。女子美術大学付属高校卒業後、文学座研究所を経て71年、映画デビュー。77年『幸福の黄色いハンカチ』で日本アカデミー賞、ブルーリボン賞助演女優賞受賞。79年には『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』で日本アカデミー賞、ブルーリボン賞主演女優賞受賞。女優のほか、エッセイストとしても活躍。2005年ロブ・マーシャル監督の映画『SAYURI』でハリウッドデビュー。その後、ロシア映画『太陽』にも出演している。06年『無花果の顔』では初監督を務め、原作・脚本を書き、出演している。第57回ベルリン国際映画祭 最優秀アジア映画賞、第21回スイス・フリブール国際映画祭長編コンペティション部門特別賞、トルコ フライング・ブルーム国際女性映画祭 国際批評家連盟賞を受賞している。三池崇史監督の映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』公開中