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一期一会

YOU(女優)貴城けい 心に残る出会い

貴城けい 宝塚が私を作った
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[2]初めての宝塚

貴城けいさん1 私にとって、運命の出会いは13歳でした。ある日、姉が「宝塚を受験したい」と両親に話しているのを聞いて、姉が受けたがっているのはどういうところだろう、見たいなと思い、姉に連れられて当日券で宝塚の舞台を観に行きました。
当時、東宝の劇場は3階席まであって、私たちはそのてっぺんの3階で観ました。幕があいた瞬間、豪華できれいで、夢の世界で……大袈裟ではなく、本当に幕があいたその瞬間に思ったんです。「私はここに入る」って。
3階席なので舞台は遠く、出ている人はすごく小さく見えるし、誰が誰だかわかりません。お芝居の内容も、ほとんど覚えていません。でも、男役の圧倒的な魅力的に、打ちのめされました。

それまで私は硬式テニスをやっていて、将来はテニスの選手になりたいと考えていましたが、そのたった1回の舞台で、受験が大変だとか、何もわからないまま、「お姉ちゃんと一緒に入る」と決めてしまったんです。そこから、受験のためにバレエや声楽が必要だと知り、テニスをすっぱりやめて習い始めました。
貴城けい イメージ2 姉が受験をしたいと言わなければ、宝塚を見ることもなく、知らないままテニスを続けていたでしょう。ですから、私の人生を変えた出会いと言えます。
宝塚音楽学院は、中学卒業から高校卒業まで、全部で4回受験のチャンスがあります。私は中学卒業の時に1回目を受けたので、落ちてもまだ3回受けられるという思いもあり、気楽に受けることができました。
試験会場に行くと、すごく小さい頃からバレエをやっている方とか、特技で曲芸みたいなものを見せている方とかたくさんいました。「あ、こういう人が受かるんだろうな」と思ったので、あまり切羽詰った感じにならずにすみました。「落ちて当たり前」みたいな、ある意味、開き直りがあったんでしょうね。

ところが1回で受かり、自分でもビックリ。そんなわけで中学卒業と同時に音楽学校に入りましたが、40名いる同期の中で中卒は2人でしたので、年齢は1番年下です。親元を離れて寮生活をするわけですし、それまでとはガラッと生活環境が変わりました。
入ってみたら、小さい頃からバレエをやっている方とか、ピアノが上手な方とか、まわりに大勢います。私の場合、宝塚の受験前にバレエと声楽を1年ちょっと習っただけなので、入学してからが大変でした。成績もすごく悪かったし、「こんなことでは入った意味があったんだろうか。辞めたほうがいいのではないか」と悩みました。とくに音楽学校に入った1回目の試験の時は、そう思いましたね。そんな時、支えになったのは、やはり姉の存在でした。
姉は1学年上で同じ寮で暮らしていましたが、上下関係が非常に厳しい世界なので、実の姉なのに「失礼します」「何々させていただきます」と、敬語で話さなくてはいけません。そういう状態でも、姉が一学年上にいることでものすごく励まされたし、助けてもらいました。
学年が上がるにしたがって、「辞めたほうがいいのではないか」という迷いは消えました。結局、15年間、宝塚に在籍することになったわけです。


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貴城けい
貴城けい ― たかしろ けい ―
1992年3月、78期生として宝塚歌劇団に入団。93年雪組配属。2006年7月 宙組男役トップスター就任。07年2月 宝塚歌劇団退団。07年4月 オスカープロモーションに所属、女優として活動を始める。9月には『愛、時をこえて〜関ヶ原異聞』で宝塚退団後、初めての舞台に出演。10月にはグローブ座『ヴェローナの二紳士』の舞台があり、11月にはピアニストの小原孝さんとのコンサート形式の舞台があります。また12月は、舞台版『チャングムの誓い』で、グミョンの役を演じる。宝塚退団後の活躍を期待されている
貴城けい オフィシャルサイト

撮影:保坂 均(インタビューカット)






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