

『怪談』は、「愛とは何か」ということを描いた映画です。
いろいろな愛の形があると思いますが、愛しすぎるのも怖いですよね。『怪談』のヒロイン豊志賀は、新吉を愛し抜きますが、そこまで人を愛せるのはすごいと思わずにはいられないほどです。この映画は、ホラーという一面もありますが、奥深い作品だと感じました。
豊志賀を客観的に見ると、あそこまで男の人に執着したくはないな、という気はします。でも好きになって、誰かに夢中になってしまうと、ずっと一緒にいたい、誰にも渡したくないという思いが生まれて、自分を見失ってしまうかもしれませんよね。私だって、そうならないとは限りませんから。
人を愛するのは素晴らしいけれど、相手を苦しめると、愛情が違うものになってしまう。見返りを期待したり、「私はここまで愛したのに、あなたは何で応えてくれないの?」と責めるのは、自分中心の愛です。相手の幸せを願うのも愛だし……とはいえ、人を好きになると、理性でコントロールできなくなってしまう場合も出てきそうだし。「なんで、こんな苦しい思いをしなくてはいけないんだろう」と感じることもありますから困ったものです。
男と女は、結局は相性なんですね。たとえば私が、ある人を好きになって、おつき合いするとします。その人と別れて、次の人とつき合った時、前の人には通じたことが、今度の人には通じないかもしれない。相性がぴったり合う人と出会えればいいけれど、タイミングもあるし、必ずしも好きになった人が、相性がいいとは限りませんよね。
何が正しいとか、何がいけないというのは、愛し合った者同士にしか分からない。二人がそれでいいのなら、世間の常識からはずれてもかまわない気もします。
『怪談』の愛の形も、怖いけれど豊志賀にとっては「あなたを愛しているのよ」という一途な思いから生じたことだから。見る人によって、豊志賀の気持ちが分かると思う人も、わからない人もいて当然ですね。
新吉は、他の女性に目移りしますが、男性から見たら共感できるんじゃないでしょうか。男の人は、たぶん目移りする生き物だから。でも女性から見ると、「いい加減にしてよ」と言いたくなります(笑)。実際に私もそんな目にあったら、修羅場になるかもしれません。(笑)
女性の立場になると、悔しくて、裏切られたと感じるけれど、男性の立場に立てば、逃げ出したくなる気持ちや、いろいろな女性に心惹かれる気持ちも分かってしまう。男性からの視点と女性からの視点では、映画の見方も変わるでしょうし、『怪談』は男と女の永遠のテーマを描いているんです。
