

樹木希林さんとは、ベタベタくっつくような間柄ではないけれど、絶えずいてくださるという関係です。つらいときに、近くにいてくださる、それも必ずいてくださるんですよね。なぜかいい時は、いないんです。ほったらかしにされているんですね。
私がつらい思いをしているって、なぜ分かるのかなぁ? 不思議なんですけどね。そういう時に限って、偶然、仕事でご一緒したり、お会いする状況になってしまうんですよ。
数年前、東京電話のコマーシャルを『寺内貫太郎一家』のシリーズでやっていたので、仕事でも年に何回かは希林さんにお会いしていました。
その頃、母の具合が悪くなって。コマーシャルの撮影の前日に病名を告知されました。あの時ほどショックだったことって、今までの人生にないですね。
撮影の現場には、私が希林さんを迎えに行って、いつも一緒に入っていたんです。その日も母のことは隠して、「おはようございます!」と、軽いノリで明るく挨拶したんですよ。それなのに、希林さん、車に乗った瞬間に、「どうしたの、何かあったの? ミヨちゃん?」って。
それに続けて「あんたのことじゃないでしょう」と、そこまで言われたんです。
「もしかして、お母さん?」と言われた瞬間、ワーッと涙があふれ出してしまいました。それから母のことでも、ずっと力になってくれていたし、支えになってくれました。
母親が亡くなった今では、母親みたいな存在です。一緒に食事をしたり、けっこう会っています。
くだらない話もよくしますよ。希林さんにはバカな話も、平気でできるんです。素直な自分になれるんでしょうね。
去年、荒川静香さんがオリンピックで金メダルをとって、お母さんがインタビューされていた時、お母さんと私が1歳しか違わないことを知ってショックを受けて(笑)。希林さんに電話したんですよ。
「私ショックなの」
「どうした? どうした?」
「荒川静香さんのお母さん、私より1歳しか上じゃないの」
「1歳なんて、同い年みたいなもんだねぇ」
「そうなのよぉ。なのに娘がオリンピックで金メダルとってるんだよ。私、いったい今まで何をしてたんだろう……」
「ほんと、ミヨちゃん。笑っちゃうねぇ」
と、大笑い。
希林さん、本当に素敵。かわいい、変わってるけど(笑)。距離をきちんととりながらも、すごく温かい。母を亡くした後、私、本当につらかったんです。希林さんに支えてもらっているなぁと、つくづく思います。
1956年、東京都生まれ。東京女学館高等部在学中にスカウトされる。新人オーディションに参加し、25,000人の中から選ばれ『時間ですよ』でデビュー。たちまち人気を集める。劇中歌で、デビュー曲『赤い風船』は大ヒットし、93年、日本レコード大賞で新人賞を受賞。『寺内貫太郎一家』『時間ですよ・昭和元年』などに出演。77年、吉田拓郎氏と結婚し引退するが、83年に離婚。芸能活動を再開。