

私の人生のなかで一番大きな出会いは、樹木希林さんです。この出会いがなかったら、すべての意味で今の私はないですね。
初めてお会いしたのは、16歳の時。向田邦子さん脚本で久世光彦さん演出のドラマ、『時間ですよ』で、共演させていただきました。私のデビュー作で、お手伝いさん「ミヨちゃん」の役。
また、『寺内貫太郎一家』では樹木希林さん(当時の名前は悠木千帆)は寺内家のお婆ちゃんで、沢田研二さんのポスターに向かって「ジュリー!」と身もだえするシーンが、すごく有名になりました。この作品でも一緒でした。
私、お昼も一緒に食べに行き、金魚の糞みたいに、ずーっと希林さんにくっついていたんです。久世さんと3人で、ご飯食べに行ったりもしました。
芸能界もお芝居も何も分からなかったので、本当に手取り足取り、教えてくださったんですよ。芝居をするとは、どういうことか――私は最初に、希林さんから学びました。
当時は今よりも、ドラマをもっと大事に作っていた気がします。なかでも久世さんは特にこだわりの強い方だし、時間に追われて撮っていないので、気に入らなかったら、何回でもNGを出されました。「違う、違う」と怒られてばっかりいるから、なにくそと思うし、「なんでこんなに怒られているんだろう。もうイヤだ」と思ったことも多かった。でも、後から考えると、すごく幸せですよね。みなさん本気で、新人を育てようとしてくれていたのですから。
演出家と役者が、一緒になってドラマを作りあげていくという実感がありました。現場で、いろいろな芝居を試しながら作っていく余裕もあった。そういう中で、希林さんがそれとなく気にかけてくださって、教えてくれました。それから、ずっとおつきあいが続いて、今に至っています。
プライベートでもけっこう……勉強になりますね。そういえば、結婚する時も、ちょっと相談に乗ってもらいました。離婚する時は、「あ、そう」と言われたくらいで(笑)。根堀、葉堀は聞かれませんでしたね。
樹木希林さんって、カッコいいですよね。富士フイルムのコマーシャルでも、綾小路小百合みたいなキャラをやっていたかと思うと、「フォト・イズ・ビューティフル」では、もうメチャクチャカッコいい。でも、いろいろな顔のすべてが、あの方でしょう。それが素敵ですよね。
飾らないし、誰にも媚びない。ご自分の考えがはっきりしています。とても気持ちのいい方ですね。
私、一時期、眉毛をけっこう剃って、ペンシルで山形に描いていたんです。そのほうがきれいだと思っていたし、オシャレだと信じていた。そうしたら、すごく怒られました。
「やめなさい、ミヨちゃん。別にモデルさんじゃないんだから、そういうこと、しないの」って。
若い人たちが、みんな同じような眉毛をしているのを見て、希林さんは「おかしいでしょう、ミヨちゃん。見てごらん。みんな同じ顔に見えて、やさしくも見えないわよ。眉毛をそんなふうにしてしまったら、芝居で泣いたり、やさしい表情をするとき、変でしょう?」っておっしゃいました。
眉毛をいじりすぎてしまうと、その人の本当の顔が出ない。私は「いいんだ、そのままで。それが、その人の顔なんだから。確かに」と思いました。小さなことかもしれないけど、本当にそうだなって。
今でもメイクさんから、「眉毛カットしていい?」と聞かれると、「切らないでください。今、伸ばしているんです」と答えます。「ハッ?」って疑問を持った不思議な表情をされることもありますけど(笑)、私らしくいたいから、そう言っています。
1956年、東京都生まれ。東京女学館高等部在学中にスカウトされる。新人オーディションに参加し、25,000人の中から選ばれ『時間ですよ』でデビュー。たちまち人気を集める。劇中歌で、デビュー曲『赤い風船』は大ヒットし、93年、日本レコード大賞で新人賞を受賞。『寺内貫太郎一家』『時間ですよ・昭和元年』などに出演。77年、吉田拓郎氏と結婚し引退するが、83年に離婚。芸能活動を再開。