

1月からは連続ドラマ『あしたの、喜多善男』に出演しています。小日向文世さんが主役で、11日後に死のうと思っています。私は元妻で、ちょっと悪い女。でもまだこの後、どうなるのか出演者も知らされていません。本当は誰が悪いのか、最後までわからないでしょうね。
連続ドラマの場合、映画とは違って、結末を知らずに撮影する場合も多いですね。今、目の前にある台本を生きるんです。それだけに“生もの”の感じがします。1週間に1本撮って、撮り終えて3日後に放送ということもあります。鮮度がいい分、瞬発力が必要です。
舞台の場合は、稽古を重ねて重ねて、積み重なっていったものをそぎ落としてお見せします。一日たりとて同じ舞台はなく、日を追うごとに育っていきます。そして、舞台は決して自分がお客になることができません。唯一、お客様と自分の生の生命力を感じられる場所です。
映画、ドラマ、舞台、それぞれの場で、役を通してさまざまな人間像を演じてきました。でも、その作品をやることで何を得たかは、正直、渦中にいるときにはわかりません。ずいぶん時間がたって、じんわりと気づくことがあります。役や芝居に対する自分の姿勢や考え方で気がつくことがありますね。
最近、いい意味で力が抜けてきて、自分のなかに縛りがなくなってきました。与えられた仕事は精一杯頑張る情熱はありますが、「なんとしてもこの役をこういう形で生かしたい」というような硬いビジョンがなくなったんです。たとえば優等生の役を演じているとき、うっかり飲み物をこぼしてしまったとします。以前の私なら、「いけない!」と思ったけれど、今は「優等生でもそういう面もあっていいんじゃないかな」と思えるようになりました。台詞を間違えても、かつての私は「失敗だ!」と落ち込んでいたけれど、今は台詞が抜けたり、違うことを言ってしまったとき、「間違えちゃったけど、今のちょっといいかも」と思える自分がいます。ダメな自分をどんどん認めて、見せられるようになってきました。それも私なんだって。
すると、人とのかかわり方も変わってきたんですよ。どうやって演じる人物を生かすのかを考えるのは、役者の仕事だと思っていたのが、「わからないところは監督に聞く」と思えるようにもなりました。あれもやってみるし、これもやってみるので、「見てください」と判断を預けたりします。小さいことからヒントを得たり、ある瞬間に感じたことを大事にしたり……。自分が思いついたことを、すぐ監督やまわりの方に話すようになりました。以前は「もっと、もっと」という気持ちを一人で抱え込んでいたけれど、今は「もっと」を人の力も借りて、みんなで作っていければいい、と思うようになりました。
年齢を重ねた方とお話したり、インタビュー記事を読むと、「若い頃は突っ張っていた」とか、「あの頃は頑張り過ぎていたために、まわりが見えていなかった」といった話をよく聞きます。20代前半の頃は、ピンときませんでしたが、後半になって「あ、青かったな」と思えてきたんです。でも、そうやってがむしゃらに頑張っていた自分も、いとおしい。あの時期があるから、今があると思います。変わらないものがありながら、年々変わっていく自分を楽しんでいます。
そのとき、そのとき、向き合い、悩んできた経験が積み重なって、余裕や解放につながったようです。うまくいかないと落ち込むけれど、時間がたってよくよく考えてみるとそれが次のことに生かされている。逃げずに向きあった自分がいたから、そう考えるようになったんです。これから先も課題や壁にぶつかったとき、立ち向かっていけるんじゃないかという気がします。
今年、30歳になりますが、これから年齢を重ねるのが楽しみです。この先、40、50の私はどうなっているんだろうとワクワクしますね。
