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一期一会
皆川賢太郎 マイスポーツライフ
皆川賢太郎 1
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NO.1 皆川賢太郎


ひとつずつに意味がある

皆川賢太郎さん 怪我をして2年目。連戦連敗で、もう後がない。残された日本での2試合は、引退試合みたいなものです。だから居直ったんです。悔いのない最高のパフォーマンスにしよう。とくに準備はせずに、試合の時だけ動けばいい。ゆっくり身体を休め、その2試合に集中しよう、と。
よく試合の日が近づくと、やらなきゃという強迫観念から、いきなりランニングしたり、腹筋したりしていました(笑)。普段練習していても、この試合が大切と思うあまり、妙な一夜漬けがしたくなるんです。休む勇気がない。でもその時は、前日、何もしませんでした。体も気分も、ゆっくりさせました。長野にいるのですから善光寺を回ってましたね(笑)。外国人の友達が来ていたので、みんなでランチを楽しみました。ほかの選手は前日、練習していた。しかし、今までとは違って、何も不安にはなりません。僕は「最後の2本は自分でイメージを作って、ベストを尽くす」とだけ思っていましたね。そうしたらなんと、優勝したんです。

あの時に初めて、自分の中で「表現者」という言葉が生まれました。試合は「作品」で、僕は表現者だと思えたんです。最後の2本と思った滑りは、僕にとって大きな転機でした。
それからは、「オレは世界チャンピオンになれる」と思っていたことへの反省も含めて、焦らなくなりました。山登りをするとしたら、それまでは最短距離で頂上に登りたいと思っていたけれど、怪我をしたという現実を受け入れて、ぐるぐる回って登るかもしれないし、ジグザグかもしれない、と柔軟に考えられるようになったんです。
さらに、頂上は頂上なんだから、一回降りてから登ってもいいし、時間をかけてもいい。大事なのは、明確にひとつずつ用意して、これができたかなと思ったら次の1歩を踏み出して、忘れたかなと思ったら、また戻ってそこをやり直そう。そんなふうに思えるようになりました。
くだらないプライドは捨てて、ダメなものはダメと認めて受け入れる……人間として、多少まともになったんでしょうね。

リフト 怪我をするまでは、毎日スキーできる事実に感謝することもありませんでした。滑れて当たり前でした。自分が手にしているものに、意味があると思って生活していなかったんですね。
ひとつずつに意味があって、それを自分で考えながら生きることが、スポーツ選手である前にまず人間として必要だと気がついたんです。人間として真摯に生きていくと、競技に集中できる。怪我をしてから2年かかって、ようやくその境地に達しました。
そこからですね、スキーに対する向かい方が、それまでと変わりました。しっかり準備したのだから、あとは待つだけという、シンプルな発想を理解できたし、人に左右されることも、ほとんどなくなって、ゆとりが持てるようになりました。
不思議なもので、生活の中で怒ることも極端に少なくなりました。聴く音楽も、時間の使い方も変わったし、競技に対しても穏やかになった。すると、全体を見渡せるようになるんです。怪我を経験して、ようやく一人前のプロになれた、という気がします。

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皆川賢太郎(みながわ けんたろう)
アルペンスキー日本代表。チームアルビレックス新潟所属。98年長野オリンピックから日本代表として活躍。06年トリノオリンピック回転で50年ぶりの4位入賞。昨年の右膝前十字靱帯断裂の大怪我から見事に復帰。今期は再び、第1シードを目指す。
公式ブログ


Photographs by Jyunya Inagaki(インタビューカット)






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