
2回目のオリンピック出場となるソルトレイクシティーの時は、それなりに成長して「メダルがとれるかもしれない」というところまで行ったのに、旗門不通過で失格。その後、今度こそメダルを取りたいと思ってトリノオリンピックに挑戦しましたが、0.03秒差でメダルに手が届きませんでした。
ソルトレイク五輪後、試合の最中に、左膝前十字靭帯切断の大怪我をしました。僕の親父は競輪選手でした。同じ怪我で引退しています。子どもの頃から、「怪我をする人間は一流になれない」と、親父からよく言われていました。
それまではスキーには自信もあったし、自分はトップアスリートだと疑わなかった。でも怪我をして、「僕は一流になるように定められていなかったんだ」と、打ちのめされました。階段をバーっとかけあがって、世界のトップになると信じていたので、途切れた時に「二流、三流なんだ」と思わざるをえなかったわけです。
やけっぱちになりましたよ。怪我して一ヵ月間、膝のはれが引くまでは手術もできません。その間、パチンコやったり、酒飲んだり……そんな生活でした。
手術後、リハビリを続けたものの、もとのように動くようになるか、確信が持てない。とくに最初は、まったく動かしたいように動かないんです。「もう、オレの足じゃねぇ」とか、「いらねぇ」などと思っていました。
あの頃は、ものすごくイラついていた。「アルペン界で何年に一度の逸材だ」「皆川賢太郎は黙っていてもトップまで行く」と言われてきて、過信していたんでしょうね。「何年後にはこうなって」と、輝く未来を想定して競技をしていたし、いろいろな欲望にも満ちていたけれど、突然、自分の未来に靄がかかってしまった。それまでノリノリだった分、これから先、何をやったらいいのかと、途方に暮れてしまいました。
プライドもあったので、負けていく自分なんて見たくないし、感じたくもない。戻れる自信がなかったんです。リハビリもしたし、練習もしたし、前を向いていたけど、負けていく自分を受け入れられない。だから、競技をやめようとも思いました。
それでもかろうじて、引退を思いとどまり……1年目はなんとなく、「怪我をしたから」とみんなが思ってくれるのに甘えてしまった。2年目は、足も治ったはずなのに1年目よりもっと成績が悪かった。
本当に、あの頃の僕は「嫌なヤツ」でした(笑)。人を妬んだり、他の人がダメになるのを望んだり。僕は常に向上してきた人間のはずなのに、そういう汚いことを願う自分がいました。
結果が出ないので、カテゴリーも下げていました。いろいろな試合に出てポイントをとらないと、代表にすら残れない。ソルトレイクシティー・オリンピックが終わって2年目、高校生の時と同じポイントでした。
僕が代表からはずれるなんて、考えたこともなかったので、焦りがありました。フランス行ったり、イタリアに行ったり、各国のレースを可能なかぎり回って……でも、惨敗。とにかく焦って、狭く考えて自分を見失っていたんです。僕に残されたのは、日本での2試合だけ。ここでポイントをとらないと、次のシーズン生き残れない。ヨーロッパからの帰りの飛行機で、「もう、選手を続けることは無理」と観念しました。
皆川賢太郎(みながわ けんたろう)
アルペンスキー日本代表。チームアルビレックス新潟所属。98年長野オリンピックから日本代表として活躍。06年トリノオリンピック回転で50年ぶりの4位入賞。昨年の右膝前十字靱帯断裂の大怪我から見事に復帰。今期は再び、第1シードを目指す。
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