
2006年のトリノ冬期オリンピック男子回転で、4位入賞をはたしました。3位との差は、わずか0.03秒。
あのときはコースマネージメントとして、守る箇所が一ヵ所あった。その一ヵ所を減らしたら、タイムを縮められたかもしれません。マラソンや水泳だったら、ほかの選手の状況が把握できるので「あいつを抜いたら勝てる」と思ったら死ぬ気で馬力をかけられるけど、アルペン競技はゴールしてタイムを見るまでは、自分が何位なのかわかりません。
確かにメダルはほしい。3位と4位はメダリストかそうではないかという大きな違いがあります。
金メダルを取った選手とは、ジュニアの頃からずっと一緒に闘ってきましたが、明らかに力の差があった。彼は基準値が、僕よりずっと上です。
目指すべきは、いかに基準値をあげるか。100パーセント力を出し切って闘うとリスクが高いので、勝つためには人の100パーセントが僕の80パーセントになるようにしたいんです。フィギュアスケートだと、1回転んでもある程度挽回できる可能性もあるけれど、アルペンはそれがない。特にオリンピックの場合、「一発賭けます」という滑り方をして失敗したら、4年待たなくてはいけませんから。
98年の長野オリンピックは、「出させてもらった」という感じでした。当時、スキー板の長さは、195pくらいが常識。それが一番、バランスがいいとされていた。でも僕は、なぜこんなに長くなきゃいけないんだろう、なぜしゃもじ型やもっと太い板ではダメなんだろうと、ずっと疑問に感じていたんです。
ある時、ワールドカップでオーストリアのトップ選手と同じサービステントになりました。彼が短いスキー板を「このスキー、ぜんぜんダメだよ。いらない」と、サービスマンに渡していたんです。思い切って貸してほしいとお願いして乗らせてもらったら、滑りやすい。こんないいもの、なぜダメって言うんだろうと。「これはいい」という閃きを得て、「いい滑りができるんじゃないか」というイメージが湧いたんです。
長いスキーは、落下していくものを止めながら滑っていく感覚です。でも僕はむしろ、落下して滑っていきたいと考えていました。直滑降が一番速いわけですから、それに近い状態でターンができて、上から雫が落ちるように滑ったら速いんじゃないかって。そういうイメージでやろうとしていたけど、長いスキーではうまく操作できなかった。これで自分にぴったりの道具を見つけた、と嬉しかったですね。
僕は、168pの板で滑る決心をしました。もちろん周りからは、ワールドカップの滑りはできないと反対されました。滑り方を研究し、結局、短いスキー板で2000年のワールドカップで6位入賞。それをきっかけに世界的に、回転競技で使用されるスキー板はどんどん短くなっていきました。おかげで僕は、「スキーの革命児」と呼ばれるようになりましたよ。(笑)
あの時、思い切った選択ができたのは、「若さ」のおかげだったと思います。20代になったばかりで、自分なりに確立しているものが少ないので、新しいことに抵抗がなかったんですね。
今、僕も30歳になって、当時ショートスキーを否定していたトップ選手たちの年代になったわけです。つくづく思うのは、ベテランになっても、新しいものをとりこぼさないでいたいな、と。人間、固まったらダメだと思うんですよ。すでに知っていることにも「なぜ?」と疑問を持つようにしたい。知らない怖さに対して謙虚でいたい。そうでないと、長く競技を続けられません。
皆川賢太郎(みながわ けんたろう)
アルペンスキー日本代表。チームアルビレックス新潟所属。98年長野オリンピックから日本代表として活躍。06年トリノオリンピック回転で50年ぶりの4位入賞。昨年の右膝前十字靱帯断裂の大怪我から見事に復帰。今期は再び、第1シードを目指す。
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