
モットーは“ポジティブ・ノンレジスタンス”。“肯定的な無抵抗”です。
私は陸上一筋と思われることも多いですが、実は“人生を陸上に賭ける”という生き方をしてきたわけではありません。子どもの頃から足は速かったけれど、スポーツよりアートに興味があり、将来の夢は画家か漫画家でした。学級新聞に4コマ漫画を書いていたし、手塚治虫さんにファンレターを出して返事もいただきました。
中学で陸上部に入ったものの、部になじめずサボってばかり。カメラに凝っていたので、時間があると山に行って、雨上がりの霧のなかで寂しそうに立っている樹を撮っていました。モノクロで撮影して、自ら現像して……。芸術にひかれたのは、気持ちや存在を形にできるからなんです。
高校でも陸上部に入りましたが、県下でも1位2位を争う強豪校だったため、私より速く走る選手がたくさんいました。短距離では通用しないとの判断から、先生の勧めで棒高跳びを専門にしました。しかし、半年後にマットの外に転落して棒高跳びへの復帰はあきらめ、その後は先生の指示で取り合えず短距離チームと一緒に練習することにしたのです。するといつの間にかスーッと先頭集団を走っていることが多くなってきたんです。結局気が付いたら短距離選手としての人生を歩むことになっていました。ここまでを振り返ってみても最初のきっかけはほとんど受け身で始めたことばかりだったのです。
その後バルセロナオリンピックでファイナリストになるまでの間は順風満帆の陸上人生を歩み、アスリートとしての最後をアメリカで締めくくろうと33歳の時に渡米し、1年間アリゾナ大学に留学することにしました。しかし、この1年間の留学が自分の第2の人生を切り開く大きな転機となったのです。留学当初は言葉が通じないうえに、日本ではちょっとした有名人だったのに、アメリカでは誰も私を知らないし、何も期待もしていない。社会に居場所がない気がして、強く孤独感を感じ落ち込む日々ガ続いていました。また、走ってみても長年酷使してきたからだのあちらこちらが痛み満足に走れない状態が続いていました。
結局9月くらいにアリゾナ大学で開催された記録会を最後に現役続行を断念しました。その夜は部屋に帰っても寝つけず、夜中の3時に突然、グランドキャニオンに行こうと思い、徹夜で車を走らせました。これは「引退」なんてもんじゃなく「アスリートとしての死」だと独り言をもらし、これまでの競技人生を回想しながら、気持ちのままに動いていました。
やがてアメリカ生活に慣れ、大学から研究留学で渡米していたため、このころから全米の大学の陸上コーチに対してアンケート調査なども実施しました。その時に最も最初にアンケートを返してくれたのが、当時100mの世界記録を保持していたカール・ルイスのコーチだったトム・テレツ氏だったのです。私は感激し、すぐにお礼の電話を入れると、テレツ氏は「じゃあ一度こちらに来なさい」と気さくに誘ってくれました。
スタジアムに到着した私に向かってテレツ氏は「スタンドで見学してても何も身に付かないからグランドに降りなさい」と告げ、グランドに降りてから徹底的にテレツ氏の走理論を教え込まれました。当時の我が国のスプリント理論とは全く異なる理論だったため、違和感を感じていたものの、新鮮な気持ちで積極的に吸収してみようという気持ちになっていました。
帰国後一心不乱に理想の走法を追い求めるようになり、気がつけば母校の短距離コーチとしてグランドに立つようになっていました。これらの経験がもととなって、パリの世界陸上で末続選手が200mで銅メダルを獲得した際に有名になった「なんば走法」や「二軸走法」が開発されたのです。
世の中で活躍している人々を見てみると、目標を決めて、緻密な計算のもとに人生を歩んでいる人もいるし、英才教育で花開くスポーツ選手もいます。つまり、いろいろなプロセスがあってサクセスに至っているのだろうと思います。そこで、私の場合はどうなのかと振り返ってみると、ここまで述べてきたように、何とも無抵抗な生き方をてきた半生がそこにありました。とにかく、目の前におかれた状況を受け入れてきただけだったのです。ただし、一旦受け入れを決意してからは「仕方ない」とか「この程度でいい」と思って取り組んだことは一つもありませんでした。とにかくワクワクドキドキが好きな性格も手伝ってか、与えられた環境に対して挑戦的に取り組むようにしていましたし、日々創造力を働かせていました。
そんな生き方から掴んだ考え方が、“ポジティブ・ノンレジスタンス”――肯定的な無抵抗です。強い意志で選びとったわけではなくても、置かれた状況に真摯に向き合うと自分の人生が広がる、そんなイメージでしょうか。
一生は、山で湧き水が湧いて、小さな流れになって、だんだん下流に流れていくようなもの。その途中では、大雨が降ったり、雨が降らず干上がりそうになったり、さまざまな状況があります。そのとき「肯定的な無抵抗」で、流れの先頭に立ち、「時代や社会に流される」から「時代の流れを創る」意識でいると、共感する人や協力する人が増えて、だんだん川幅が広がり、流れに深みが出てくるのではないでしょうか。あっちらこちらに目移りしてポンポンと流れを変えたり、せき止めたりしていると、いつの間にか流れの幅が狭くなり、下手をすると干上がってしまうかもしれません。
高野進(たかのすすむ)
1961年静岡県富士見市生まれ。陸上400m走にてロサンゼルス、ソウル、バルセロナと三回のオリンピックに出場。‘92バルセロナオリンピックでは60年ぶりに陸上短距離で決勝進出という偉業を成し遂げた。現在は東海大学体育学部教員と東海大学陸上競技部短距離コーチとして活躍中。大学ではスポーツ科学論等の授業を通じて、学生に走ることの奥深さ・素晴らしさを教えている。もう一方では、今までの経験と研究を活かし、独自の走理論とトレーニング方法を確立、愛弟子の末續慎吾らと世界最速を目指している。アスレティクス・ジャパン株式会社 代表取締役。日本陸上競技連盟 理事・強化委員長。日本スプリント学会会長。400m日本記録保持者 44秒78
