
[4] オリンピックからの新たなスタート
北京オリンピック日本代表監督の依頼を受けたときは、オシム監督と力を携えて、日本のサッカーを向上させるために一緒に闘おうという気持ちが強かったですね。
オリンピックをどう闘うかということももちろん大事ですが、その後の日本のサッカー競技の発展を考えて、プランを作らなくてはいけません。
実際は、いかに若い選手をピックアップし、代表に行かせる人材を選ぶか。選手のセレクトが、仕事の中で大きなウェイトを占めていました。
そのためにトップチームだけではなくサテライトの試合や、高校・大学の試合など、さまざまな試合を観ました。
海外と比べた場合、日本の若い選手は精神面が甘い。ハングリーさが足りないし、ゲームに出ている選手がいない、そのあたりのコントロールが難しかったですね。
たとえば予選では、月曜日に集合して水曜日に試合して終わりということもあり、短期間で実のあるトレーニングをし、コミュニケーションをとらなくてはいけない。
だからクラブチームの監督とは、内容がまったく違いました。
自分としては、オシムさんとよく話をしながら、日本のサッカーのよさを前面的に出すにはどうしたらいいかを念頭に置いて、選手の構成や戦術を組み立てたつもりです。
日本のサッカーのよさは、連続して動く連動性がある、言われたことをしっかり守る勤勉性など、たくさんあります。ただ世界を通して見た場合、日本の実力は世界で16位に入るか入らないか。
だからベスト8に入ることをまずは目標にしよう。自分たちとしては、最初から「グループリーグを突破することがまず一つの目標だ」と言い続けてきました。
ところが練習ゲームや親善試合の結果がよかったことで、逆にメディアを始め皆さんが期待を抱きすぎてしまったんでしょうね。
予選突破は当たり前だとか、なかには優勝を狙えるとか言う人もいて。そのあたりからズレが生じてきたように思います。
しっかり準備はしたのですが、勝ち星をあげることはできなかった。それは紛れもない事実です。国際試合は、あまりアップセットがない。実力がそのまま出てくる場合が多いですね。
W 杯も決勝に出てくるのは、FIFAランキングのベスト5に入っている国です。
やっぱり実力不足だというのは十分感じていたし、それを乗り越えるにはもっともっとやらなくてはいけないことがあるということを、改めて認識させられました。
オリンピックを終えて、反省も含めて、相当脱力感がありました。正直、サッカーボールを見るのもいやでしたね。2ヵ月間くらいはほとんど家から外に出ず、髭も伸ばしたままでボーっとしていました。
5歳になる娘と遊ぶか、テレビを見るか、本を読むか……外に出たら石投げられると思っていたから(笑)。まだ娘が遊んでくれる年齢だから、助かりましたよ(笑)。
そのうち、家にいてもしょうがないなと思い始めました。よし、もう1回アクションを起こそう。
そう心を切り替え、以前から興味があったドイツのラルフ・ラングニック監督のもとに学びに行くことにしたんです。
ラルフ・ラングニック監督が率いるドイツTGSフォッヘンハイムは、去年2部から1部に昇格したばかりなのに優勝争いにかんでいます。
3週間ドイツにいて練習を見たり監督と話をし、その後イングランドのリバプールに移り、そこでも練習を見たり監督と話をする時間を持つことができました。非常に刺激になりましたね。
おかげで心境が大きく変わりました。今は心から仕事を楽しんでいます。監督が仕事を楽しめなければ、選手も楽しめないですからね。J1昇格を目指してロジックを高め、パッションを全開にするつもりです。

反町 康治(そりまち やすはる)1964年、埼玉県生まれ。高校で、全国大会優勝を経験。慶応義塾大学卒業後は全日空へ入社し、全日空横浜サッカークラブを母体とした「横浜フリューゲルス」で試合に出場。“サラリーマンJリーガー”として注目された。1994年、退社し「ベルマーレ平塚」にプロ契約で移籍し、チーム躍進の原動力として活躍。1997年、現役を引退。サッカー解説を経て2001年、J2「アルビックス新潟」監督に就任する。就任後わずか3年でJ1昇格へと導いた。2006年より北京オリンピック日本代表監督を務める。2009年より「湘南ベルマーレ(旧名称:ベルマーレ平塚)」の監督に就任。





