

92年にアルベールビルで初めて金メダルをとって帰国すると、多くの方から「おめでとう」と言われましたが、同時に「荻原さんのやっている複合競技はマイナーですよね」という声もよく聞きました。マスコミの方からも、必ずと言っていいほど、「ジャンプやアルペンなどの花形競技ではなく、なぜマイナーな競技を選んだんですか?」と質問されました。
僕は子どもの頃からやっていたので、その競技がマイナーとかメジャーとか考えたこともなかったのに、「誰も知らない競技ですよね」と言われて、ショックでしたね。そのとき、「これは悔しい。“誰もが知っているノルディック複合競技”にしよう」と、決心しました。1回金メダルをとっただけでは広められません。とにかく、たくさん取材も受けて、ノルディック複合競技というものを世の中の人々に認知してもらおう。そのためには10年は必要だろう、10年間はやり続けよう、と決めました。
長野オリンピックで成績が出せず、引退しようと思ったけれど、振り返ったら、6年しかやっていない。「10年間続ける」と自分と約束したのに、やめたら約束違反になってしまう。自分の心の中だけで決めたけれど、約束は約束だ。とにかく約束は守れる人間になりたいと思いました。
そこで、まず考えたのは、残り4年間をどう過ごそうか、と。4年後にはオリンピックがあります。それをひとつの目標にしようとは思いましたが、義務感でやっていてはよくないことには気がついていました。子どもの頃に感じていた、「スキーが楽しくて仕方がない」という感覚。日が暮れて真っ暗になるまで滑り続けたあの頃のワクワク感を、もう一度、取り戻したい。期待に応えようとか、あの大会で何番以内に入らなくてはいけないとか、そういう考えはいっさいやめて、原点を追求しよう。楽しいスキー、自分本来のスキーに戻す4年間にする思いを固めました。
その時間があったおかげで、ハッピーな気持ちで競技者をやめられました。長野オリンピック直後に投げ出さなくて、本当によかったと思います。
長野オリンピックは、自分を見つめるためにとてもいい機会でした。トレーニングもよくやったし、心が揺れたことも含めて、すべての経験が今の自分に生きています。苦しみの渦中にいるときは、「こんな状況は抜け出したい」と思うけれど、それを乗り越えると、「意味のある経験だったんだな」と気づく。そういうことって、過ぎ去って初めてわかるんですね。
荻原健司(おぎわらけんじ)
群馬県草津生まれ。ノルディック複合の選手として長年に渡り世界のトップアスリートとして活躍、オリンピック団体戦で2大会連続金メダル獲得、ワールドカップ個人総合3連覇などを含め通算19勝という前人未到の成績を収めた後、2002年に競技生活を引退。スキースポーツの持つ素晴らしさ、感動を知ってもらいたいという熱い想いから、引退後は子どもたちにスキーの楽しさを教えたいとボランティア活動などを積極的に行う。2004年7月、参議院議員選挙 全国比例代表区で初当選。スポーツ振興や教育問題、環境問題を中心に活躍中
