

僕にとって、スキーは子どもの頃から“遊び”でした。幸せな人生だと思いますよ。遊びがオリンピックへつながって、アスリートとしての生計が立てられた。それが国会議員という現在の仕事にもつながっています。
スキーのためのトレーニングを辛いと思ったことはありません。スポーツ選手がなぜ過酷な練習を頑張るのかというと、その競技が好きだから。できれば世界一になりたいから。そのために必要であれば、やりますね。
トレーニングと同時に節制した生活も必要です。「やりたいことを我慢して大変ですね」と言われるけれど、競技者の生活として当たり前のこと。大変だとか、辛いと思うようになったら、選手としてやれないでしょうね。自分自身がハッピーでないと、いい成績は出ないし、勝てません。しかめっつらしてやっていたらいい結果はまず望めません。
「いつも楽しそうにしている」と言われますが、98年の長野オリンピックは、自分の競技人生のなかで一番大変な時期でした。92年のアルベールビルオリンピック、94年のリレハンメルオリンピックで団体金メダルを取った頃は、とにかく楽しかった。しかし長野は「やらなくてはいけない」「勝たなくてはいけない」「メダルを取らなくてはいけない」という、義務感に晒されながらやっていた時期です。
それまで僕は、ほとんど海外で競技をしていたので、日本の皆さんが、荻原健司をニュースや新聞だけで知っていて、実際に見たことはありません。いよいよ98年は、僕の競技を直接見ていただけるという喜びもあったし、だからこそ一番を取らなければという気負いもあった。それがプレッシャーとなったんでしょうね。思うような成績も出ませんでした。
長野オリンピックが終わった直後は、こんな生活から一日でも早く逃れたい気持ちで、引退も考えていました。
その頃、ずいぶん考えたんですよ。僕はなぜスキーを始めたのか。なぜスキーをやっているのか。子どもの頃、両親に教わった“外遊び”のスキーが、本当に楽しかったからなんですね。好きで始めて、面白くて続けてきたはずなのに、なぜ今、こんなにイヤになって、雪も見たくない状態になってしまったのか――と。
原点に立ち返って考えました。もし「逃げ出したいから」という理由で投げ出したら、きっと後悔するだろう。墓場に入る直前に、「あのとき、競技をやめなければよかった」と思うに違いないと気がついたんです。だから、なんとか踏みとどまろう。そう決心して、2002年まで選手を続けました。
荻原健司(おぎわらけんじ)
群馬県草津生まれ。ノルディック複合の選手として長年に渡り世界のトップアスリートとして活躍、オリンピック団体戦で2大会連続金メダル獲得、ワールドカップ個人総合3連覇などを含め通算19勝という前人未到の成績を収めた後、2002年に競技生活を引退。スキースポーツの持つ素晴らしさ、感動を知ってもらいたいという熱い想いから、引退後は子どもたちにスキーの楽しさを教えたいとボランティア活動などを積極的に行う。2004年7月、参議院議員選挙 全国比例代表区で初当選。スポーツ振興や教育問題、環境問題を中心に活躍中
