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地平線の向こうに行ってみたい 3

[3] 二輪から四輪への転向

レースイメージ 二輪から四輪に転向したのは、自分の意志ではなかったんです。なぜこういうことになったのか、今だに自分でもよくわからない(笑)。 二輪ではプライベートでトップ賞ももらったし、僕としてはオートバイを続けてもっと上を目指すつもりだったんです。

ちょうどその頃、ニッサンがパリダカにファクトリーマシンで参戦していた。 パリダカでは二輪から四輪に転向するドライバーが多く、ニッサンもその流れに習おうと、ライダー出身の日本人ドライバーを探していたんです。 それで、南アフリカでファクトリーマシンを使ってテストがあるからこないかと、声をかけていただきました。正直、ダメもとで行ったんですよ。 南アフリカは行ったことないし、ファクトリーマシンも乗れるチャンスもそうそうないだろうし、経験するのもいいな、くらいの気持ちでした。 もう一人、他にも候補者がいて、そちらは広告代理店やテレビクルーも連れて南アフリカにきていました。僕はファクトリーマシンなんて乗ったこともないので、しょせん勝ち目はないと思っていました。

テストは2日間。1日目は開き直って、車がどんなふうに動くのかを試してみようという気持ちで乗りました。オートバイに慣れていると、ステアリングの遊びですら怖いんですよ。 こんなにハンドルを切っても曲がらないのかとびっくりしたし、車幅もよくわからない。とにかく初日は、そのあたりの感覚を探るためにゆっくり走りました。 現場にいた外国人スタッフたちの、「なんでこんなヤツ連れてきたんだッ!」という空気をバシバシ感じましたよ(笑)。翌日はタイムアタックをするつもりで、思いっきり走りました。 そうしたら現場の目の色が変わったんです。タイムもよく、「君は今後練習したら、どのくらいタイムがあがると思うか?」などと聞かれました。結果、合格。 まわりの人たちからは、せっかく合格したんだから、四輪でパリダカに出たほうがいいと薦められました。そんな経緯で、フランスのチームと合流して、2004年に参加することにしたわけです。

三橋淳さん 二輪はたとえサポートチームがいても、一人でレースを闘います。ところが四輪の場合、チームで闘わなくてはいけません。最初はそれにまったく馴染めませんでした。 変なたとえですが、トイレの個室に誰かが入ってきて、隣でしゃがんでいるような感じでした。そのくらい違和感があったし、ものすごいストレスでした。 おかげで怒りっぽい人間になってしまい(笑)……フランス人相手に、日本語で怒鳴ったりしていましたね。オートバイの場合、たとえばサスペンションやパーツの選定など、ライダーの意思が反映される。 ところが四輪は、ドライバーの意見が通らない。なぜそうなのか、最初は理解できなかったんです。

一番馴染めなかったのは、ナビゲーションを人に託さなくてはいけないこと。もともと、ナビゲーションをしながら速く走るところに魅力を感じてラリーを始めました。 単純に速く走るスキルを競うのなら、サーキットでいいわけです。自然の地形を読んで、ルートを探し、タイムを争う。 その総合力を競う場の最高峰として、パリダカに挑んできたのに、一番の面白さを取り上げられてしまう。そのストレスはものすごく大きかったですね。 結局この年は、マシントラブルもあり、リタイアしてしまいました。



プロフィール

三橋 淳(みつはし じゅん)
1970年、東京生まれ。プロドライバー。29歳からクロスカントリーライダーとしてレース活動を開始。日本国内のメジャーレースを総なめにし、「パリ・ダカール・ラリー」では3年連続完走、プライベーター部門で優勝するなど、その実力を世界に知らしめた。2003年からドライバーに転向し、4輪初レースの「ファラオ・ラリー」で総合9位、続く「シャムロックラリー」では総合3位に。「パリ・ダカール・ラリー」では4輪出場2年目に総合11位と、日本人ではトップの成績を残す。 2007年の「パリ・ダカール・ラリー」からトヨタオートボディのドライバーとして、市販車無改造クラスに出場し、クラス優勝を果たした。今後も活躍が期待される。


撮影:和田直樹(インタビューカット)




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