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地平線の向こうに行ってみたい 2

[2] 初めてのパリダカ

パリダカという名前は知っていても、具体的な内容はご存知ない方も多いみたいですね。もともとはパリをスタートして、約1ヵ月かけてセネガルの首都であるダカールまで走るラリーです。 スタートとゴールの名前をとって「パリダカ」と呼ばれていますが、今はパリがスタートではないし、期間も約2週間と短くなりました。 一日平均600キロ走り、タイムの蓄積で優劣をつける競技で、世界で一番過酷なラリーとも呼ばれています。

三橋淳さん1 僕の場合、もともとは四輪ではなく、クロスカントリーのライダーとしてパリダカに参加していました。最初に出たのは、ちょうど21世紀が始った年。 日本人で完走した人がいないと聞いて、僕ならできるんじゃないかと思い違いと勘違いをして参加しました。(笑)
本格的にレースを始めたのは遅く、29歳です。それまではオートバイ専門誌のライターをしていて、年に2回ほど、遊びで草レースに出ていました。 でもある時、北海道のレースに出て、バイクを壊して帰ってきた。この状態では意味がないと思って。知り合いにも言われたんですよ。 無駄金を使ってるし、結果が出せないのは、中途半端にレースに出ているからだ、と。ひとつ真剣にレースをやってみようと心に決め、中途半端なことをやめて集中してみたら、結果が出るようになったんですよ。 そのうちサポートがつくようになり、海外のレースに出る環境が徐々に整っていきました。

最初にパリダカに出た時は、規模の大きさとシステムに圧倒されました。その年はパリから出発する最後の大会で、エッフェル塔がスタート地点です。 それは東京駅の前から600台の車とバイクとサポートトラックが並び、スタートしてレース車が都内を走るようなもの。それを観におじいさんから子どもまで、30万人くらいの人が集まってくる。 日本では考えられませんよね。モータースポーツの文化が日本とはあまりにも違うことにびっくりしました。
スタートしてしばらくは、スペシャルステージです。フランス国内を巡業し、町に寄って、「こういうマシンが着ました」と、披露します。 ヨーロッパを走っている間は競技というより、むしろ見せることが目的なんです。そういうシステムも知らなかったので、衝撃でした。 その後スペインに行き、南端のアルヘシラスからフェリーでモロッコに渡り、いよいよアフリカを走ります。

三橋淳さん2 アフリカは初めてでした。でもレースのシステムに飲み込まれないようにするのが精一杯で、風景なんて感じる余裕もありません。 毎日キャンプ地が移動しますが、ものすごい台数のサポートカーがいるし、関係者が2000人くらいいますから、自分はどこにオートバイを置けばいいのかすらわからない。 レストランはどこなのか、どこに行けば情報を得られるのか……僕は語学が得意ではないし、人に聞いても適当な返事しか返ってこないし。とにかく右往左往するばかりで(笑)。 アフリカに入って3日、4日は、何をどうしたらいいのか皆目わからず、ただあたふたしていました。他にも日本のライダーが出ていましたが、システムが把握できない上にお腹も壊して大変そうでした。 アフリカはミネラルウォーターの管理が悪くて、栓が開いているのもあるんです。逆さまにしてペットボトルを押して、漏れてなければOK。 炭酸水だと、蓋を開けた瞬間にプシュッと音がすれば大丈夫。炭酸水のほうがわかりやすいので、炭酸水を飲むクセがつき、今もいつも炭酸水を飲んでいます。(笑)

そんな具合ですからリズムがつかめず、当然タイムも上がらない。無理して走って崖から落ちたり、そんなことの繰り返しで、まったく自分の力を発揮できませんでした。悔しかったですよ。 でも感動もしました。アフリカは、僕がそれまで行ったどことも概念が違っていた。半径300キロ以内、誰も人が住んでいないところもあります。 モーリタニアで一ヵ所だけ、まっ平らな場所を走ります。360度地平線で、白い砂と真っ青な空のコントラストがすばらしい! そこをみんなでダーッと走っていくと、ものすごい砂ほこりが立つ。 なんてカッコイイ光景だろう。俺、すごいところを走っているな、と思いました。



プロフィール

三橋 淳(みつはし じゅん)
1970年、東京生まれ。プロドライバー。29歳からクロスカントリーライダーとしてレース活動を開始。日本国内のメジャーレースを総なめにし、「パリ・ダカール・ラリー」では3年連続完走、プライベーター部門で優勝するなど、その実力を世界に知らしめた。2003年からドライバーに転向し、4輪初レースの「ファラオ・ラリー」で総合9位、続く「シャムロックラリー」では総合3位に。「パリ・ダカール・ラリー」では4輪出場2年目に総合11位と、日本人ではトップの成績を残す。 2007年の「パリ・ダカール・ラリー」からトヨタオートボディのドライバーとして、市販車無改造クラスに出場し、クラス優勝を果たした。今後も活躍が期待される。


撮影:和田直樹(インタビューカット)




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