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夢さえあれば 4

耐えて、耐えて、耐え抜く

Qちゃん(高橋尚子選手)は最初、3000や5000メートルを走っていたけれど、それほどいい成績は出なかった。マラソンが向いているんじゃないかと思って奨めたけれど、最初は迷っていたみたいだね。 それで当時エースだった鈴木博美がアメリカで合宿するので、合宿パートナーとして無理やり一緒に連れていったんです。 高度3000メートルくらいのところで練習させると、これがけっこう走る。なんとかこの子を育ててみようと心に決めた。

言葉 指導した選手に、オリンピックで金メダルを獲らせるのが僕の夢。60歳くらいのときに金メダルを獲らなくては、一生獲れないなと思ったから、必死でしたよ。 ところがQちゃんは、どういうわけか合宿になると、怪我をしたり体調を崩して故障する。
シドニー・オリンピックへの代表権を賭けた名古屋国際女子マラソンの準備のために徳之島で合宿をしたときも、お腹が痛いといって泣き出した。 慌てて病院に連れていったら、食中毒で2日ほど入院しなくてはいけなくなった。あのときはマスコミが大勢取材にきていたから、とにかく入院していることを隠さなくてはと苦労したね。 朝食時も姿が見えないわけだから、「Qちゃんは練習が好きだから、夜明けと共に走りに行った」とか、ウソついてね。(笑)

合宿中、嵐で練習ができない日が多かったし、Qちゃんは倒れるし。僕も不安で全然寝られなくなって、仕方ないから夜中に一所懸命、メモをとっていた。 後で読み返すと、ノートに「針のむしろに座りつつ」なんて書いてある。外は暴風雨。そのとき、そうだ、選手より先に監督が諦めたらおしまいいだと自分に言い聞かせ、こう書いた。 「雨風に耐えて花咲く時を待つ」。耐えて、耐えて、耐えて、よし名古屋だって思えた。

小出義雄さん1 退院したものの、Qちゃんは4、5日何も食べていない。ところがマスコミに公開する試走のスケジュールが決まっていた。医者には試走を止められたけど、これで走らなかったら大騒ぎになる。 そこでサトウキビ畑の中を二人で歩きながら、「Qちゃん、小出も経験がある。一週間、何も食べない状態で走ったことがあるんだ。 大丈夫、人間には精神力という素晴らしいものがあるんだから」と励ましました。

結局、準備不足のまま名古屋国際を走ったけれど、Qちゃんは見事に優勝。しかも最後の10キロは世界記録ですから。すごい! と思いましたね。
1万本の糸からなる、糸の束があるとします。その糸が、1本、1本、切れていく。全部切れたら終わりだけど、最後の1本がある限り、諦めちゃいけないんだね。 監督やコーチは、夢を持ったら、耐えて、耐えて、耐え抜かなくてはいけないんだって、改めて思い知らされた。Qちゃんから教えられたね。

故障があると、選手は精神的に動揺する。そういうとき、監督の言葉が大事でね、Qちゃんが怪我をして世界陸上選手権に出られなかったとき、こう言ったんです。 「悔しいかもしれない。でも『せっかく』故障したんだよ。今、それをふりきって出たら、もっとひどくなってオリンピックに出られなくなる。 せっかく故障したんだから、ここでゆっくり休めばオリンピックに出られるって、お天道様が言ってるんだよ」って。教員時代にも、子どもたちが卒業するとき、必ず言っていました。 「『せっかく』という言葉を覚えておけ」と。

小出義雄さん2 そんなわけでQちゃんには、シドニー・オリンピックでなんとしても金を獲らせたかった。ところが前年のセビリアでの世界大会を、棄権しています。原因を考えると、夏が暑かったから。 コロラド州の標高1600メートルくらいのところにアパートを借りていたけれど、暑い上に虫にも刺されて、寝不足だったんだね。これではいけない。 そうだ、コロラドに家を買おう! そう思って探していたら、ちょうどいい物件があってね。間取りを見たら、北側に大きな部屋があるので、そこをQちゃんの寝室にしたらよく眠れるだろうなと思って。 みんな反対しましたよ。でも僕はどうしても金メダルがほしいから、いいと思えることはすべてやりたい。それで女房に内緒で銀行からお金を借りて、家を買うことにしたんです。

そうしたら数日後、女房から電話がかかってきて、すごく怒っている。
「何かあったか?」
「何かあったじゃないわよ。お金借りたの?」
「うん少し」
たくさんと言うと、もっと怒ると思ってね(笑)。なんと測量士と銀行員が家に来て、家屋敷が全部担保に入っちゃったらしい(笑)。 結局、Qちゃんは金メダルを獲った。48歳の時に思い描いた夢は、叶ったんだ。



プロフィール

小出 義雄(こいで よしお)
1939年、千葉県生まれ。監督として、有森裕子を92年バルセロナオリンピック銀メダル、96年アトランタオリンピック銅メダルに、鈴木博美を97年世界陸上選手権金メダルに、また、高橋尚子を2000年シドニーオリンピック金メダルへと導き、世界の女子マラソン史に残るアスリートを育て上げた。
高校卒業後、一度は実家の農業を継ぐが、陸上への想いを捨てきれず家を飛び出し、順天堂大学へ入学。箱根駅伝3年連続出場などで活躍。大学卒業後、指導者の道へ進み、23年間高校教師として陸上部の指導を続ける。市立船橋高校監督として高校駅伝優勝。88年リクルートランニングクラブ監督に就任。全日本実業団女子駅伝2連覇。97〜'02年積水化学女子陸上部監督就任。現在、佐倉アスリートクラブ(株)で社長兼現場監督。


撮影:和田直樹(タイトル/インタビューカット)

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