
5重人格くらいにならないと
僕が指導すると、なぜ選手が強くなるのかというと、まだ日本の陸上のレベルが低かった時代に、勝てるトレーニング方法を知っていたからです。有森裕子も、決して速い選手じゃなかった。
しかも小さい頃に交通事故にあっているので、脚に問題がある。でも本人が、オリンピックに行きたいと言うので、僕は驚いて、おまえ、素質ないぞ。本気か? と聞くと、本気だと答えた。
そこで、おまえの能力だったら、日本で3位以内に入るためには、こういうことをやらなきゃいけないと思うよと、プログラムを作った。当時、男子でもやっていないくらいハードなプログラムなんです。
ところが有森は、みんなが60分で音をあげるトレーニングを、私はその倍、頑張れますと言い切った。それならおまえ、可能性あるぞと言って始まった。有森は泣きながらやっていましたよ。
走っている途中は真剣勝負だから、どんなにトイレに行きたくても絶対に行かない。すごいよ、その根性は。それを続けていたら、あれだけ速くなったんだね。
有森はバルセロナ・オリンピックで銀メダルを獲ってから、自分なりにいろいろ模索するようになりました。自立心が芽生えたんだね。
それは成長の証だと思ってしばらく放っておいたら、うまくいかないらしくて、もがき始めた。踵が痛いって、泣いてきたんです。
それですぐに順天堂の後輩の整形外科医のところに連れて行き、日本では彼以外、誰もできないという、ドイツ仕込みの手術をやってもらった。
手術後、リハビリをして、練習を始めて……そうしたら有森が、アトランタ・オリンピックで優勝したいと言い出した。よし、本人がそこまでやる気があるんだったら、メダルを獲らせよう。
そのためには、アトランタで試走させたいと思い、アトランタ警察に手をまわして、2回、試走ができた。根回しも大事なんだよ。
結局、有森はオリンピックで2つのメダルを獲ったんだ。彼女みたいに、決して素質に恵まれていなくても、メダルは獲れることが証明されたね。
高校教員時代、154pで55キロの女の子がいて、毎日一緒にジョギングしたが、とにかく遅い。2年のとき、フルマラソンを走らせたけれど、本当に遅かった。
そこで減量の仕方を教えて、10キロ痩せたら、少し走れるようになった。そうしたら昭和53年、歴代3位の成績で走ることができたんだ。
そのとき、「これだったらいずれ日本の女子選手は金メダルを獲ることができる」とピンときた。(笑)
監督やコーチ、先生は、諦めてはいけないんだね。子どもより、選手より、もっともっと努力して粘らなくてはいけない。5重人格くらいにならないとできない。
いろいろな性格の選手がいるから、その子にあわせて、怒るふりをしたり、怒らないふりをしたり、なだめたり、接し方を変えなくてはいけない。そして、全力で伸ばしてやる。それが大事なんじゃないかな。

小出 義雄(こいで よしお)
1939年、千葉県生まれ。監督として、有森裕子を92年バルセロナオリンピック銀メダル、96年アトランタオリンピック銅メダルに、鈴木博美を97年世界陸上選手権金メダルに、また、高橋尚子を2000年シドニーオリンピック金メダルへと導き、世界の女子マラソン史に残るアスリートを育て上げた。
高校卒業後、一度は実家の農業を継ぐが、陸上への想いを捨てきれず家を飛び出し、順天堂大学へ入学。箱根駅伝3年連続出場などで活躍。大学卒業後、指導者の道へ進み、23年間高校教師として陸上部の指導を続ける。市立船橋高校監督として高校駅伝優勝。88年リクルートランニングクラブ監督に就任。全日本実業団女子駅伝2連覇。97〜'02年積水化学女子陸上部監督就任。現在、佐倉アスリートクラブ(株)で社長兼現場監督。





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