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北京五輪への道 4

“考える”ことの重要性

広島カープを引退したのが43歳。その年齢まで続けられたことは、丈夫な体に産んでくれた親に感謝します。生まれ育った環境もよかったんでしょうね。出雲の田舎で、近くに海があり、 川があり、山がある。砂浜を走ったり、山を駆け回ったり、遊びのなかで知らないうちに足腰が鍛えられた。また、裕福な家庭で育っていない。粗食だったことが、結果的に体によかった。 そして何より、“考える”習慣をつけたことが、現役生活を長く続けられた大きな理由だと思います。

大野豊さん1 故障のために早く引退する選手も、大勢見てきました。せっかく力がありながら、故障によって思うようにプレイできない先輩も見てきました。僕も若い頃は、故障が多い選手でした。 ハードな練習をし、ボールを投げ、激しく動くのですから、故障はつきものです。治療に行きつつ気づいたのは、故障してから治療するのでは、自分にとってマイナスだということ。 直すのに時間がかかれば、当然、チームにとっても痛手です。それではプロとして評価してもらえない。ですから、常に体をケアしていこうと考えました。

股関節、肘、肩など、関節には可動範囲があります。その範囲内での体の使い方だけを鍛えていくのでは、足りません。可動範囲のもうひとつ先まで伸ばし、広げる部分をどう鍛えるか。 その部分の筋肉や腱は、みんな、なかなか鍛えないんですよ。どうしても体の楽な部分しか使わない。僕は、一番きつい部分をどう鍛えるかを意識しながらトレーニングしたことが、 よかったかなと思いますね。実際、試合に臨む際、どこかで無理がきたとき、可動範囲を超えた部分に負担がかかるわけですから。

大事なのは、常に“意識して”何かに取り組むこと。この練習は、なんのためにやっているか。体の使い方、動かし方を意識し、頭の先からつま先、手の先までバランスをとるなど、 常に頭を使って練習をする。言葉でトレーナーに言われても、漠然としか頭に入らないものです。同じ厳しい練習なら、意識し、継続することで、自分の身になるものにしたかった。 僕の経験からすると、考えながらトレーニングをするかどうかで、大きな差が出ます。

よく「心技体」といいますが、野球にも当てはまります。一般常識、一般社会的な頭の使い方というよりも、こと野球に関しての「智」の力も絶対必要だと思います。 もちろん、体あってのことです。どれだけ気力があっても、体が強くないと、ついてこない。体さえ元気に動けば、いろいろなことに取り組めるし、自分の力を伸ばしていける。 逆に体がダメになったら、気力も湧かないし、やりたいこともできない。自分を鍛えられないから、強くなれない。

大野豊さん2 僕は決して、恵まれた条件で、野球の才能を認められてプロになったわけではありません。スタート時点で、あきらかに他の選手と差があった。自分よりすぐれた選手たちに負けないためには、 何か考えないわけにはいかなかった。

若い頃は、練習の「量」を重視していました。自分はあくまで、下手な人間、力のない人間です。そういうタイプが、できる人と対等に闘うためには、練習しかないと思っていました。 みんなが帰っても一人残ってやるとか、無茶な練習をしていました。だからどうしても故障が多くなる。そこで考えたのが、故障を防ぐには準備が必要だということ。ただ力まかせにやっても、 強くはなりません。何年かの経験のなかで、頭を使うことの重要性を覚えました。




大野 豊(おおの ゆたか)
1955年、島根県生まれ。元広島東洋カープ・プロ野球選手(投手)。高校卒業後、地元の出雲信用組合に就職するが、当時の広島東洋カープ打撃コーチ・山本一義、主戦投手・池谷公次郎の講演を聞き、プロ入りを決意。1977年、軟式野球部出身という異色の経歴で広島へ入団する。入団1年目はプロの洗礼を浴び、思わしくない結果に終わったが、2年目には初完封勝利も達成した。以後22年にわたり広島黄金期を支えるエース・守護神として活躍した。98年の引退後も、野球解説・野球評論家を努める一方で、04年にはアテネ五輪の日本代表コーチとして銅メダル獲得に大きく貢献した。2007年に北京オリンピック野球日本代表投手コーチに就任。


Photographs by 和田直樹(タイトル/インタビューカット)




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