
どん底からのスタート
僕の野球人生は、一直線ではありません。中学高校では、野球部に所属していましたが、プロになりたいとは考えたこともなかった。
憧れはあったけれど、縁がない世界だと思っていました。高校卒業後は、地元の銀行に就職。職場の軟式野球チームに入りました。
中学高校を通して、野球部で何か大会に勝つという経験がまったくありません。練習がきつかったことと、悔しい思い出しかない。ところが軟式を始めてから、
全国大会や国体にも出たし、楽しい野球ができました。そういう状況のなかで、自分の人生を変え、考えを変える出会いが、いくつか重なったんです。
まず一歳下の隣の市の高校生が、テストで阪神に合格しました。また広島東洋カープの打撃コーチだった山本一義さんと主戦投手の池谷公二郎さんが野球教室や講演のために、
地元にやってきた。講演を聴き、野球教室に参加し、食事会に参加してとても刺激を受けました。たまたまその頃、中国大会に出る高校生を相手に、
久しぶりに硬式で練習試合をやることになりました。練習相手になれば、くらいの気持ちで臨んだところ、思いがけないほど三振を取ったんです。
そのときに初めて、自分のなかに何かが芽生えたんでしょうね。「ひょっとしたらプロでやれるんじゃないかな」と、漠然と思った。なんでいきなり、プロという発想が湧いたのか、
わかりません。何か光が差してきて、プロという世界で自分の力を試してみたい、挑戦したいという思いが湧いてきました。さっそくカープを紹介していただき、
時期はずれの2月に広島に行き、テストを受けました。そうしたら、受かったんです。昭和52年、21歳のときです。
入団後、5月から2軍で投げ始めて3勝し、その年の8月に1軍にお呼びがかかりました。8月4日に1軍に上がって、9月4日に初登板。1軍に行って、たった一ヵ月です。
初登板は広島阪神戦。メッタ打ちにされて、自責点5、防御率135という天文学的な成績を残しました。当然、次の日にコーチから、
「2軍で頑張ってこい」と。僕自身は、1軍が終わったのではなく、プロ野球選手として終わったと思いました。プロでは通用しないことが、はっきりしたと思いました。
やっぱり自分には無理だったと。絶望的でした。
もう、やめよう。そう思ってお袋に電話したら、お袋が「1回の失敗で諦めるんじゃない。もう1回、頑張りなさい」と言ってくれました。その言葉で、冷静になりました。
「そうだよな、3年間軟式野球をやって、まともに硬式の練習もせずに、2月にプロに入って8月に1軍にお呼びがかかった。ということは、自分に何かいいものがあるに違いない。
でもプロとして一番大事なキャンプもまだ経験していない。体もできていないし、精神的にも弱い。技術もない。こんな短期間で、すべてをクリアできるわけがない。
もう1度体を鍛え直して、自分を強くしていこう」と気持ちを切り替えて、練習しかない、鍛えるしかないと、再スタートをしました。
その後も、平坦な道ではありません。たいした技術もない、体力もない、精神的にも弱い自分が、よくプロに入ろうと思ったな、と考えた時期もありました。
そのくらい、自分自身が嫌いな時期もあったんです。でも、なんとか変えなくては、と思いました。精神的な弱さを克服するために、夜寝る前に座禅を組んで集中し、
冷静になる訓練をしたり。いろいろな本を読んで、意識改革を試みたりしました。
誰でもバイオリズムがあって、1年を通しても、いいときと悪いときのリズムがあります。若いときはいいから抑えられた、悪いから打たれた、とそれが当たり前だと思っていました。
でもそれでは、プロとして恥ずかしいと考え直しました。悪いときに、どういう気持ちに持っていくか。何をすべきかを考えるようになったんです。
高校からいきなりプロに入ったら、そういうことは考えられなかったと思います。
銀行で働いていた3年のうち2年間は、外渉をしていました。預金のノルマは、簡単に達成することはできません。毎日に通って、顔を覚えてもらうことから始め、信用してもらう。
そこからコツコツ積み上げた結果、預金をしてもらえる。たくさんの家、たくさんの会社をまわって、一つずつ開拓していきました。人間関係についても学びました。
業種が違っても、考え方や見方には、共通するものがあります。プロであるとは、どういうことか。どう仕事に取り組むべきか。それは、どんな職種でも変わらないと思います。
初登板での絶望的な試合は、自分にとって必要だったんですね。今になって、つくづくそう思います。もし初登板でいい結果を出していたら、プロを甘く見てしまい、
悪いほうにいったかもしれません。僕の原点は、まさにあの初登板。それ以来、人生のなかで何かあると、原点に立ち戻るようにしています。
あれ以上悔しい思いや絶望感はないだろう、あれ以上にひどい投球はないだろう。自分はどん底に落ち、そこから這い上がってきた。
壁にぶつかったとき、つらいとき、原点に立ち戻ると、前を向くことができます。

大野 豊(おおの ゆたか)
1955年、島根県生まれ。元広島東洋カープ・プロ野球選手(投手)。高校卒業後、地元の出雲信用組合に就職するが、当時の広島東洋カープ打撃コーチ・山本一義、主戦投手・池谷公次郎の講演を聞き、プロ入りを決意。1977年、軟式野球部出身という異色の経歴で広島へ入団する。入団1年目はプロの洗礼を浴び、思わしくない結果に終わったが、2年目には初完封勝利も達成した。以後22年にわたり広島黄金期を支えるエース・守護神として活躍した。98年の引退後も、野球解説・野球評論家を努める一方で、04年にはアテネ五輪の日本代表コーチとして銅メダル獲得に大きく貢献した。2007年に北京オリンピック野球日本代表投手コーチに就任。






