
2度目の投手コーチ
星野仙一監督のもと、北京オリンピック野球日本代表の、投手コーチをつとめることになりました。アテネでの長嶋茂雄さん率いる“長嶋ジャパン”に続き、
2回目のオールプロとして臨む北京オリンピック。前回は銅メダルですから、“今回は金”と期待されるなか、アジア予選が始まり、どう闘って出場権を獲得するか、
それしか頭になかったんです。結果的に、ひじょうに苦戦しました。そうして勝ち取ったオリンピック出場権です。勝ち得てほっとしたという状況です。
プレッシャーはありますね。選手もみんな同じだと思います。僕の場合、スタッフのなかで唯一、前回のアテネオリンピックを経験しています。あのときは「金が獲れて当たり前」
と期待されたのに獲れなかった。ましてや、まったくノーマークのオーストラリアに、2度も負けてしまった。ひじょうに悔しい思いもしましたし、なぜあのチームで勝てなかったのか、
いろいろ反省点もあります。
アテネが終わった直後は、五輪チームの投手コーチをつとめることは、2度とないと思っていました。結果が出せなかった悔しさもあり、自分の役割を果たせなかった責任感もありましたから。
それなのに、どういうわけか、またお呼びがかかりました。ちょっと、戸惑いました。でも星野監督をはじめ、田淵幸一さん、山本浩二さんなど先輩方からの要請でしたし、
もう一度チャンスをいただいたと前向きに考えようと思いました。アテネの悔しさをバネに、責任を果たしたいという気持ちも出てきました。
前回の反省点は、大きく2つあります。まず、世界全体を見ることができなかった。
野球が盛んなのはアジアとキューバ、そしてメジャーリーグがあるアメリカです。では、メジャーの選手がすべてアメリカの人間かというと、そうではない。
世界各国から強豪が集まってメジャーができています。その人たちが自国に帰ってチームを作れば、簡単には負けないチームになるわけです。
だからどういう国であろうと、安易な気持ちで「簡単に勝てる」などと油断してはいけません。戦いは何が起こるかわからないと実感しましたし、情報収集が足りなかったと反省もしました。
もう1点は、ここぞという大一番で、持っている力を出し切れなかった。初めてのオールプロだったので、予選7試合、準決勝、決勝と、すべて勝たなくてはいけないと気負いすぎました。
あまりにも「勝たなければ」という思い込みが強くて、堅くなってしまい、余裕がなかったんでしょうね。そういう精神的な弱さがあったと思います。
予選は、必ずしもすべて勝たなくてはいけないわけではなく、大事なのは、準決勝に向けていかにいいコンディションにあげていくのか。
そこで負けると、金メダルはないわけですから、試合の流れを、組み立てなくてはいけないんです。
前回はなにしろ初めての経験でしたから、ワケのわからないまま、ひたすら「勝たなきゃ」しか念頭になかった。スタッフの我々も、余裕がなかった。
しかも長嶋監督が倒れられた。監督不在で闘ったために、やはり何かが欠けていた。同時に、「長嶋さんのために勝ちたい」と、さらに気負いが大きくなってしまった、という点もあります。
北京では、なんとか選手をリラックスさせたいと考えています。選手にしてみれば、なかなかそうはいきません。余裕を持って勝てる相手ではありませんから、難しいですが、
前回も出場した選手たちが、まとめ役になってくれると期待しています。幸い星野監督はアテネで全試合を見ておられるので、試合の流れもよくわかっていらっしゃる。
僕も大きな目で全体の流れを見ながら、投手コーチをつとめます。

大野 豊(おおの ゆたか)
1955年、島根県生まれ。元広島東洋カープ・プロ野球選手(投手)。高校卒業後、地元の出雲信用組合に就職するが、当時の広島東洋カープ打撃コーチ・山本一義、主戦投手・池谷公次郎の講演を聞き、プロ入りを決意。1977年、軟式野球部出身という異色の経歴で広島へ入団する。入団1年目はプロの洗礼を浴び、思わしくない結果に終わったが、2年目には初完封勝利も達成した。以後22年にわたり広島黄金期を支えるエース・守護神として活躍した。98年の引退後も、野球解説・野球評論家を努める一方で、04年にはアテネ五輪の日本代表コーチとして銅メダル獲得に大きく貢献した。2007年に北京オリンピック野球日本代表投手コーチに就任。







