
真っ直ぐな思いで
ロードレース世界選手権Moto GPは、F1の二輪版です。エンジンの排気量に応じて、125cc、250cc、800cc(Moto GPクラス)の3クラスに分かれています。
レースは年間18戦。スペイン、イタリア、ドイツ、イギリスなど9割がヨーロッパで、あとはアメリカ、アジアで開催されます。
僕はMoto GPクラスに出ており、ほぼ毎月レースがあるので、年の3分の1が海外、3分の1が移動、3分の1が日本です。
オートバイとの出会いは5歳のとき。両親は僕に、サッカーでも野球でもなんでもいいから、何かスポーツをさせたいと思っていました。
たまたま近くのサーキットで子どもたちが楽しそうにポケットバイクに乗っているのを見て、バイクを選んだそうです。
自分の意志で始めたわけではなく、最初は習い事みたいな感じでしたね。家族で毎週末にサーキットに行き、ポケットバイクに乗って遊んでいました。
年齢に応じてバイクをステップアップするうちに面白くなり、小学校も中学校も卒業文集には、「プロのレーサーになりたい」と書いていました。
本気でレーサーになろうと思ったのは、高校に入学する頃です。ずっとレース中心の生活だったので、その道を究めたいと思うようになっていました。
父親も、「その道に進めばいいんじゃないか」と言ってくれました。
とはいえプロになるのは簡単ではありません。まずは全日本選手権に出場するのが第一歩ですが、出場するだけでは食べていけない。
オートバイメーカーと契約をして、契約ライダーとなって初めてプロと言えるわけですから。
同世代でプロを目指したいライダーは、大勢いました。同じくらいの成績の人も何人もいます。しかし、シートの数は限られているので、高い倍率なんです。
僕の場合、レースの成績が足踏み状態で、2年くらい、いい成績がでなくて諦めそうになりました。
それでも諦めなかったのは、「自分にはこれしかない」という思いの強さでした。レースに賭ける情熱は、他の人に負けていなかったと思います。
僕はすべてを賭けられるという覚悟を見ていてくれる人がいた。それでプロになるチャンスをもらえたんです。
初めて海外のレースに出場したのは21歳。それまで、飛行機にも乗ったことがなかったんです。出場が決まって、慌てて英会話教室に通い始めました。
僕は年齢より若く見えるらしく、フランス人のスタッフには、「日本から少年がきた」と。(笑)
スタッフはアパートを見つけることから、全部、手伝ってくれました。
大先輩たちはレースにエントリーすることすら大変で、バイクが現地に届かないとか、いろいろな困難を乗り越えて、やっと参戦していたそうです。
僕の上の世代から、日本のバイクメーカーがサポートをするようになり、僕らは何の心配もなく現地に行けばいい環境になりました。
先輩たちに比べると、とても恵まれていましたね。フランスでもレースに対する不安はありませんでした。サーキットに出てしまえば、どこの国であっても、変わらないですから。
むしろ、生活が不安でしたね。レンタカーも借りにくいし、言葉も通じない。最初はストレスがたまりました。
1年目は、1ヵ月滞在しては日本に帰るような日程でしたが、2年目からは3ヵ月くらい滞在するようになりました。1年目はある程度の成績は出たけれど、満足のいくものではありません。
2年目からですね、生活にも慣れて、エンジョイするようになったら、成績も出てきました。

中野真矢(なかの しんや)
1977年、東京都生まれ。MotoGPで活躍するモーターサイクルロードレースライダー。
5歳でポケットバイクに乗り、17歳でSP忠男レーシングチーム入る。同年、鈴鹿4時間耐久レースで優勝。97年ヤマハに入り、翌年、全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン。99年、ロードレース世界選手権(WGP)参戦を皮切りに01年500cc、02年から最高峰MotoGPクラスで活躍する。甘いマスクで、ニックネームは「王子」。
2008年よりグレイシーニ・ホンダに移籍し、新天地での活躍が期待されている。また、07年12月には結婚し、よりいっそう厚いサポートのもと表彰台を狙う。
中野真矢 オフィシャルサイト







