副島正純
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車椅子がチャンスをくれた 4

海外のレース事情

副島正純さん2 東京マラソンに出場したおかげで、自分が走ることの意味に気づかされました。悲しいレースだったけれど、僕にとっては意味のある経験でした。 運営に疑問があったので、ぜったいボストンで勝ってやろう、そして東京マラソンに物申そうと思いました。 その強い意志でボストンマラソンに優勝できましたが、ゴールのときも沿道に大勢の人たちがいて、応援してくれました。 東京マラソンは、2月で寒く、しかも雨が降っていて、スタート時間が早かったこともあり、僕が走っている時間帯には応援の人も少なかった。 天候はどうすることもできないので仕方ないけれど、やっぱり寂しかったですよ。ボストンも寒かったけれど、町のみなさんが応援してくれました。 表彰式は観客のワーッという声援の中で「君が代」が流れて、花束をもらった。嬉しさがこみあげてきました。「これが本当の優勝だ」と思いました。

東京マラソンでは「障害者の部」は表彰式は健常者とは別で、終わると解散。でもボストンでは、障害者も健常者もみんな一緒の表彰式です。 そのときにニューヨークシティーマラソンのプロデューサーがきていて、「ニューヨークにきて走らないか」と誘ってくれました。 「ニューヨークは、満足してもらえる体制でやっているから」と言ってくださいました。

副島正純さん2 ニューヨークシティーマラソンは、思った以上にタフなコースでした。スタートが橋で、かなり登りがあり、路面の状態も場所によってはコンディションが悪い。 アメリカ的なアバウトさというか、ワイルドさというか……。そのタフなコースに苦しめられましたが、その反面、手ごたえがあって楽しかったですね。 最後のセントラルパークのゆるやかな登りはとてもきつかったけれど、沿道の応援で頑張ることができました。応援がすごいんですよ。みんなもまるで走っているようで。

大会には、エリート選手として招待してもらえたので、栄養費の支給もあったし、健常者のエリート選手が使う部屋で軽食や飲み物もいただけました。 身の回りのことでも、困ることは何一つありませんでした。そういった決め細やかな対応が、とても嬉しかった。 レース結果は3位。満足がいく成績ではありませんでしたが、来年もチャレンジしたいと思えるレースでした。

1年の締めくくりは、ホノルルマラソン。ホノルルは自分の中で、1年を振り返る最後のレースで、次の年へのモチベーションをあげて、つなげていくための大事なレースです。 通算3回目の出場になりますが、優秀を飾ることができました。よく知っているコースですから、自分なりに毎年、コースの状況を考えながら走れます。 去年はあいにくの雨でしたが、満足のいく三連覇を達成しました。

副島正純さん2 ホノルルマラソンで残念なのが、朝の5時にスタートして約1時間半でゴールするので、車椅子で走っていると日の出も見ることができなければ、景色も楽しむこともできないんですよ。 僕がダイヤモンドヘッドを帰ってくるころに、みなさんはのぼって行っていますから、きっと美しい景色を見るんだろうな、と羨ましくもあります。

それにしても、海外と日本のレースで、なぜここまで大きく違うのか疑問です。そこを変えていかなくてはいけない。 僕らが「もっとこうしたほうがいいんじゃないかな」と提案して、改善され、世界中から参加するような大会になればいいですね。 そういうことをもっと力強く言える立場になりたいな、と思うので僕は頑張って走って成績を残したいのです。



副島正純(そえじま まさずみ)
1970年、長崎県生まれ。シーズアスリート所属。94年、家事手伝い中の事故により脊髄を損傷。車椅子の生活となる。95年、11月、車椅子マラソンを始める。96年、初レースは「まなす車椅子マラソン大会」(札幌)ハーフマラソン3位。2005年から07年、JALホノルルマラソン3連続優勝。07年2月、東京マラソン優勝、4月にはボストンマラソン優勝(日本人初)、9月の世界陸上2位、9月のベルリンマラソン(ドイツ)では優勝(日本人初)という快挙。そのほかの大会でも優秀な成績をあげ、アスリートとして活躍しながら、講演活動も積極的に行っている。04年に福岡県民スポーツ栄誉賞、内閣総理大臣賞、厚生労働大臣賞を受賞している。今後の活躍が期待されている。
副島正純 オフィシャルサイト


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