
東京マラソンに言いたいこと
昨年の東京マラソンで優勝しましたが、東京マラソンに関しては、いろいろな不満もあります。
日本で一番大きなマラソンイベントを作るということで始まったし、東京のど真ん中で走らせてもらえるので、とても楽しみにしていたんですけど、
実際に参加してみると、僕ら車椅子の競技は、社会的な一種のパフォーマンスとして付け加えられたものとしか思えなかった。
けっして、アスリートとして受け入れられたわけではないと感じました。それがすごく悲しかったですね。
障害者は健常者の5分前にスタートするので、スタートラインでみんなの前にいるのに、カメラは僕らを映そうとはしない。
テレビ中継で車椅子のスタートのときにはCMが入り、「東京マラソンはこの後スタートです」とまったく放映されない。
僕がトップでゴールしたとき、アナウンサーに名前も間違えられました。障害者の名前はきちんと用意されていなかったからです。
僕ら車椅子は1時間半ほどでゴールします。あの日は雨が降って4度しかなくて、めちゃくちゃ寒かった。
ところが道が封鎖されているため運搬車がこなくて、スタート地点で預けた服も普段の車椅子もゴール地点に届いていないんですよ。
健常者はもっと時間がかかるからいいけれど、早く着く僕らは着替えもできず、寒さに真っ青になりながら、毛布にくるまっているしかない。
プレスでは待たされた挙句に「1分でお願いします」とか言われて……。
しかも表彰式は、都知事の石原慎太郎さんは健常者のときだけ出てきて、僕らの表彰にはこなかったんです。
金メダルも健常者は本物の金で、えらく価値があるものだそうですが、同じ距離を走ったのに、車椅子は違いました。
海外のフルマラソンは、車椅子のアスリートも健常者のアスリートも同じ扱いですが、日本では障害者は競技者としては受け入れられていないんです。
ですから、僕としては優勝しても、けっして気持ちよく終えられたレースではありませんでした。見てくれていた人たちがメールやブログの書き込みで、
「感動しました」とか、たくさんリアクションをくれたんです。障害のあるお子さんを持っている方からも、メールをもらいました。東京マラソンで僕の存在を知り、お子さんも僕のことを、
「カッコイイ。自分もあんなふうに強くなりたい」と言っている、と。
そういうメールを読んだときに、僕は自分のために走っていたけれど、見ている人は違う意味で僕のことを見ていてくれている事実を初めて感じました。
そのとき、今までの自分の価値観というか、自分の存在価値が変わった。
「あ、僕はこういうことのために、存在している価値があるんだ」と、初めて実感したんです。100人の人がいるとして、100人全員に伝えることはできないかもしれない。
でもその中の一人でいいから、「自分も頑張ろう」とか、何か感じてくれれば、それだけで僕の存在価値はあるのではないか。心から、そう思えたんです。
今年の東京マラソンの応募締め切りは、昨年の9月半ばでした。普通、前回の優勝者は招待されるものですが、東京都からなんの連絡もなかったんです。
それでこちらから連絡して、「招待はないんですか?」と聞いたら、係の人から「そういうのはありません。走りたかったら、登録してください」と言われました。
正直、もう出場するのをやめようかとも思いました。僕のまわりでも、「もう出ない」という障害者が多いんです。
でもそれで出場選手がいなくて、車椅子の部がなくなるのも寂しいし、本意ではありません。僕らが必死で走っているところを見てもらうことに、大きな意義があるわけですから。
結果的には招待にしてもらえ、また今年、2月17日に東京マラソンを走ることに決めました。

副島正純(そえじま まさずみ)
1970年、長崎県生まれ。シーズアスリート所属。94年、家事手伝い中の事故により脊髄を損傷。車椅子の生活となる。95年、11月、車椅子マラソンを始める。96年、初レースは「まなす車椅子マラソン大会」(札幌)ハーフマラソン3位。2005年から07年、JALホノルルマラソン3連続優勝。07年2月、東京マラソン優勝、4月にはボストンマラソン優勝(日本人初)、9月の世界陸上2位、9月のベルリンマラソン(ドイツ)では優勝(日本人初)という快挙。そのほかの大会でも優秀な成績をあげ、アスリートとして活躍しながら、講演活動も積極的に行っている。04年に福岡県民スポーツ栄誉賞、内閣総理大臣賞、厚生労働大臣賞を受賞している。今後の活躍が期待されている。
副島正純 オフィシャルサイト







