

ここ数年、国連関係の仕事で、困難な状況にある国や地域を見てきました。そのなかで、競技や記録を追い求めるスポーツは、スポーツのほんの一部分でしかないことに気づかされました。

たとえば難民キャンプやスラムにサッカーボールひとつ持っていくと、子どもたちはボールを使って遊び始めます。すると笑顔が生まれ、仲間が生まれ、ゲームをしながら自然とルールを決めるようになります。人間にとって一番必要なものが、次々と生まれていくんですね。それは、スポーツならではの力です。物資の援助や医療も大事だけれど、スポーツが加われば、人間に生きていく力がつくられます。
ケニアのスラムにも、サッカーチームがありますが、そのチームのなかにケニアのナショナルチームに入っている子が何人かいます。頑張ってナショナルチームに入ることが、子供たちの夢なんです。スポーツにたずさわると、明らかに人が変わります。まず、元気になります。人にとってスポーツは欠かせないものだと、ボランティアの現場で実感しました。
なぜスポーツは、これほど愛されているのか――私なりに見えてきたものを生かして、もっと多くの人にスポーツのすばらしさを伝えていきたい。そこに私の持っている最大のアイデアと、時間とエネルギーを使いたいんです。マラソンを休んでいた3年半の間、その思いがどんどん強くなってきました。すると、走ることは二の次になってしまいます。トレーニングの時間も減らさざるをえないし、タイムを求めることに価値を見出さない自分がいます。記録を追い求める時期はもう過ぎた、もう終えてもいいのだ、と。それが、ラストランを決意した背景です。
地球中どこでも、人々はスポーツを楽しんでいます。精神の安定のためだったり、リフレッシュだったり、ウェイトコントロールだったり、仲間づくりや、社会とのつながりのため……スポーツには、いろいろな可能性があります。言い換えると、自分の存在価値を確かめるところでもあります。
コミュニケーションのツールとしても、大きな力があります。東京マラソンでも、走っている人と沿道の人、知らない人たちの間で、自然にコミュニケーションが生まれていました。マラソンを通して空間がまとまるというのか、気持ちがひとつになる。スポーツは本当に素晴らしいなと、改めて実感しました。 スポーツをしている姿は、偽り(フェイク)ではありません。本物なんですね。人間、何に感動するかというと、本物にだけ感動します。だから、スポーツを行うだけではなく、観せることも、観ることも、大事だと思います。
有森裕子(ありもりゆうこ)
1966年、岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学卒業後、株式会社リクルート入社。バルセロナオリンピックの女子マラソンでは銀メダル、アトランタオリンピックでは銅メダルを獲得。NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表就任。国連人口基金親善大使就任。2002年4月、株式会社ライツ設立、取締役就任。日本陸連女性委員会特別委員。国際陸連女性委員。現在、米国コロラド州ボルダー在住
