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清水屋に逗留した、高村光太郎や芥川龍之介。そしてクライマーズブックを清水屋に残した日本近代登山の父、ウォルター・ウェストン。上高地には多くの文化人や著名人が訪れ、そして清水屋に各々の足跡・歴史を残していきました。 洋画家であり詩人の高村光太郎が智恵子との愛を育み、結婚を決意させた場所が上高地です。大正2年夏、2人は清水屋に2ヶ月ほど逗留していました。 その後紹介された「智恵子抄」の中の散文、”智恵子の半生”にはこんな件があります。 「私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。」 2人が上高地、そして清水屋でどんな話をしたかは知る由もありませんが、上高地を下り、その翌年結婚。当時新聞は2人の事を「美しき山上の恋」とはやしたてました。清水屋はそんな高村光太郎と智恵子が結婚の約束を交わしたゆかりの宿なのです。 |
芥川龍之介の著書「河童」は河童橋からそのヒントを得たとも、河童橋が「河童」からヒントを得たとも言われています。芥川は大正14年に清水屋に宿泊しています。 「河童」の発表(昭和2年)の年の夏、芥川は自殺しますが、「河童」には死を前にした芥川の内面が告白されていると評されています。はたして芥川龍之介は上高地で、清水屋で、何を思い、筆をとったのでしょうか。 |
![]() ウォルターウェストンはイギリスの宣教師であり、イギリス山岳会の会員でした。「日本アルプス登山と探検」で、日本アルプスを世界に紹介し、日本山岳会の創設にも深く関わった人物です。 上高地を最初に訪れたのは明治24年で、大正4年の3回目の滞日を終えて帰国するまで、上高地を訪れた際は、清水屋に滞在しました。そして、後に上高地を訪れる外国人登山者の署名簿にと、後述する「クライマーズブック」を清水屋に残していきました。 クライマーズブックは現在でも一般公開され、当時の上高地の一端に触れることができます。ウェストンは当時清水屋主人加藤惣吉に上高地は後々登山の拠点となることが予想されるので、温泉の権利を取っておく事をすすめたとも言われています。 今日の清水屋も、景勝地としての上高地もウェストンがいなかったら存在しなかったかもしれません。 |


| 窓からは梓川を見下ろし、対岸には霞沢岳、六百山を眺望するすばらしい景観。 朝夕刻々と変化する壮大な上高地のすばらしさを存分に堪能してください。 |
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